日雇いパンダと極楽の孔

同情するなら笹をくれ

胸が痛い



その痛みは誰の為にある。


何かを守る代償として自分が傷つくのなら、その傷はやがて自己実現という名のかさぶたで塞がることだろう。


一方僕の傷はいつまでたってもジュクジュクなままで、空気に触れるたびに沁みてひどく辛い。


辛くて辛くて、本当に辛くて、一日が70時間くらいあるように感じられるのだ。




この痛みの原因となる感情を成分分析してみると、怒りが半分を占めていた。


この怒りは非常にたちが悪く、本来であれば対象に憤りの水風船をぶつけてやればそれでおしまいなのだが、肝心の対象が見つからぬまま。


誰もいない空間で一人、大きな水風船を抱えて立ち尽くしている僕の怒りはどんどんぬるくなっていく。


いつ風船に水が注がれるのか分からないという、自分の怒りに対して自分が怯えるのは初めての経験である。




それから悲しみが三割ほど。


怒りとは対照的に、この悲しみは自分を焼き尽くすほどの火力を持ち合わせているようだ。


これほどまでに燃え滾る悲しみを味わったことがないので、悲しみという表現が正しいかについては自信がない。


最近鏡を見ると酷い顔をしているのは、この悲しみのせいで顔面の皮膚が焼き爛れてしまったからではないかと考えているのだ。




残りの二割はかなり散逸していて、いま持ち合わせている語彙からその二割の最たる部分を占める感情を無理やり形容するならば、近い言葉は「浮遊」だろうか。


数時間に一度は必ずみぞおちに力が入る瞬間がやってきて、そのたびに空に浮かんでいるような気分になる。


その数秒後には地面に叩きつけられてしまうのでその度に浮かばなければ良かったと思ってしまうのだが、よく考えてみると自分で浮かびたくて浮かんだわけではないのだ。


後悔後に立たず、という言葉を当てはめておく。




十年ほど前から、帰納と演繹を繰り返す工程の中で自分から感情を遠ざけながら濾すという、見晴らしの良い塔の螺旋階段を登るように感情を制御する手法を採用している。


だがそれは状況把握がうまくいかなければ途端に感情がカオスへと突き進んでしまう欠陥を孕んでいる、これは最近になってようやく気づいたことだ。


おかげで僕の心の中ではマーブル色の竜巻があちらこちらで猛威を振るっており、インフラの復旧はどうも破壊の順調さに追いつきそうもない。




ここでまず、Twitterからひっそりと離れた僕を心配して私信を送ってくれた数名のフォロワー各位へ。


本当にありがとう。僕は元気ではないが心配しないように。


次に、私信こそ送らないものの数秒でも僕のことを考えてくれた0〜若干名のフォロワー各位へ。


わざわざありがとう。僕は元気なので心配しないように。


そして、僕のことなんて頭の片隅にもなかったという数百人のフォロワー各位へ。


君のTwitterのやり方は正しい。ただしフォローは外さないように。




Twitter引退宣言はしないが、しばらくツイートすることはないだろう。


促されるまでもなく、ツイートしたくなったらする。


だがいまTwitterをやると「ぎゃああああああああ」「んああああああああああ」といったツイートを五分おきくらいのハイペースで晒してしまうことになる。


心を緊密に連携させて文字を削り出すことを自分に課しているからだ。


いずれそそくさと戻ってくるだろうから勝手に過労死したことにしないように。




ああ、なんにせよ、僕はずっと胸が痛い。


暗闇の中で針山に囲まれた平均台の上を歩き続ける日々が続いている。


何度足を踏み外して巨大な針に胸を突き抜かれたかはもう数え切れないので、大きな一回とすることにした。


ただこの痛みをひん曲げてこね回して正当化して、悲劇のヒーローぶっている臆病な自分がこの上なく嫌いだ。


そこで僕が僕を嫌いになったら、いったい誰が僕に愛を注ぐのかという懸念が生まれてくるのは、嫌悪の宿主が僕であるから当然のことであろう。


いままでその嗅覚と体系で他者を制してきたのだから。




愛がなくても生きていけるような強い男に自分を育てた覚えはない。


その弱さを誇りながら温かく生きられる存在が大人であるならば、僕はどうやって大人になればいいと言うのだ。


きっとこの反抗心を心の奥で大事に撫でる日々が続く限り、いつまでも僕はこのパラドックスの輪から飛び降りる勇気を持てないでいるのだろう。




救いなどという有るのか無いのかもわからないものにすがりながら意気揚々ともがけるほど、状況は好ましくない。


それならば、どん底どん底まで素直に落ちてみようかと考えている。


そしてその穴がなんの変哲もないただの穴であることを証明したいと思う。


そこで自分をまた一から作り直しても遅くはないはずだ。


底に到達するまで、時間がかからなければ助かるんだけどなあ。


あーあ、幸せになれるものならなってみろよ。






狼狽と五千兆円〜前編〜





かくして俺は五千兆円を手に入れた。


即死を覚悟していたが、確かに呼吸は続いている。


そのままであれば七十四歳までは生き永らえていたということだ。


六十代半ばくらいに肺がんでぽっくりだろうと踏んでいたが、こればかりは分からないものだ。


これから五十年も地面すれすれの低空飛行を続けていたのだろうか。


それともどこかで運命の出会いが訪れ、子ども、果ては孫なんかまでいたりするのだろうか。


いやいや、答え合わせのない問いに唸っていても仕方がないことだ。




生まれて初めて、悪魔の声を聞いた。


前に持っていた漠然とした悪魔観とは違う、穏やかで少し丸みを帯びた声質だった。


奴は自分が何者なのかは名乗らなかったが、俺が交わしたものは、世間一般に言う悪魔の契約だ。


自分語りを一切せず、契約上必要な事項しか口にしなかったので分からないが、存外悪い奴ではないと思う。


ただ時折返事が遅れることがあったのが気がかりではあるが。




そうか、全てを手に入れてしまったのか。


早速ピザ屋に電話し、シーフードピザのLに追加でエビのトッピング、コーラを三本注文した。


電話の切り際に急ぎでと付け加えたので、小走りでピザ屋がやってきた。


店員は代金を宣言したはずだがいくらかは覚えていない。


高くて時給九百円の奴には触らせるのもおこがましいが、赤い文字で『5000兆円』と仰々しく書かれている薄鼠色のカードを差し出した。


ピザを開けると、注文通りふんだんにエビが載せられていた。


金さえあれば、こんな小さなエビを殺すことくらい造作もないことだ。




ピザの減る速度が緩んできた頃に、ふと積み上げられた段ボールの傍らで佇むエレキギターが目に入った。


兄に近づかなければという一心でここまで頑張ってきたが、果たしてこいつは今の俺に必要だろうか。


この世界にも色々な奴がいた。


才能を掘り起こすことに費やす日々を、夢を追えるだけで既に不幸はないと捉える奴もいたし、楽しいとか楽しくないとか評価する暇も無いくらい音楽にのめり込んでいると言う奴もいた。


俺は、これを苦と捉えた。


ついに兄を越えてしまった。


気づくと俺は部屋を飛び出し、そいつを掴んで車止めのブロックに叩きつけていた。


いくら音づかいが洒落ていたって、五千兆円は到底稼げないだろう。


俺だって兄や彼らと同じように人生を賭して五千兆円を手に入れたんだ。


有るのか無いのかも分からない、あやふやなものに捧げられるほど俺の人生は安くないのだ。







ぜんぶ円高のせいだ





バイトめっちゃやってる。


僕は色々あるコンビニ業務の中でもレジ打ちが一番楽しいと思う。


自分が思っているよりも人間が好きなのかもしれない。


逆に楽しくないのは品出し。


棚に足りないカップラーメンを補充するの、なにがオモロイねん。


その中でも楽しみを見つけるのがバイトを長続きさせる秘訣。


僕の場合は、その商品を出すスペースが既に埋まっているのを見つけると、「すいやせん!ウチではこの商品、取り扱ってないっすねー!」とつぶやくことだ。


新しい楽しみを見つけなければ来週あたりには持たなくなっているだろう。




僕は失恋ソングが嫌いだ。


三年前の失恋に思いを馳せるような曲なら良いのだが、いまフラれましたみたいな曲が嫌い。


全然共感できません。


いまフラれたのにその気持ちを歌詞にして曲に乗せてしっとりと歌い上げちゃって、お前余裕だなって思っちゃう。


本当にフラれてすぐに曲を作るとメタル調で「ウボアアアアアアア!!!死にてええええええええ!!!FUCK!!!!!」みたいな曲になるはずなのだが。




最近、木綿のハンカチーフヘビーローテーションしている。


椎名林檎松崎ナオのデュエットバージョン。


これもれっきとした失恋ソングなのだが、男女が書いた文面をそのまま歌詞にしたという体を取っているのでそのへんの臭みはまったくない。


そりゃ歌舞伎町のネオンとナオンを見れば目が眩む。


元々は1975年にリリースされた曲なのだが、40年ほど経った今でも強く共感できる。


3年ほど四国の女と遠距離恋愛して別れた男を知っているが、毎晩のようにビデオ通話していたのにその愛が醒めてしまったらしい。


文明の利器をフル活用してそれなのだから、40年前の遠距離恋愛なんか難しいに決まっている。


それでも男を否定しないこの女の子の慎ましさにだけは昭和を感じる。


今の時代ならば高速バスで東京へひとっ飛びで、男が八つ裂きにされているだろう。


しかしこれは男が悪いのではなく、東京が悪いのだ。




そういえばこれ、僕が最近よく使うテクニック。


なにかを嫌いになりそうな時、それよりもさらに大きいものに罪をなすりつける。


だいたいは、円高のせいにできる。


円高を憎んで人を憎まず。


なにかを嫌いになるというのはそれだけで甚大なエネルギーを使う。


無駄なエネルギーは使わずに、やらなきゃいけないことを一生懸命頑張ろうよ。


お仕事、勉強、力を合わせて円高を跳ね返そう。






良い匂いの女と結婚しろ




最近、ブログを書けていない。


これはなんでかというと、バイトのせいだ。


一日の総まとめとして23時前くらいから書き始めるのが僕のサイクルだったわけだけど、今はその時間、夜勤夜勤夜勤。


ただオーナーは本当にいい人で、本来休憩のないシフトでも休憩させてくれたりするので、僕もなんとかその思いやりに応えてあげたい。


すごくちっちゃい御恩と奉公。


昔からなんでかわかんないけど僕は年寄りにモテるんだよね。


書くことがなければ書かない、それくらい居直ってやっていこう。


ゆるゆるおまんこブログ。




じゃあ一つだけ。


この世で一番かっこいい人は、死を恐れない人。


恐れないというか、死という概念を持ち合わせていないか、その概念が吹けば飛ぶくらいのペラペラなものであれば理想的だ。


死臭くない人。


Twitterで死にたがってる人をよく見かけるが、彼らくらいずっと死について考えて考えて、死という概念が重すぎて押しつぶされそうになっている人、残念ながらダサい。


いつ死んでいいと思っている自殺志願者と、いつ死んでいいと思っている人生の浮浪者、一見同じように見えるが彼らは対局に位置する存在で、北極の氷と南極の氷みたいなものだろうか。


死を感動のフィナーレだとか集大成ではなく、なんなら通過点くらいの気持ちで臨めるならばそれが最高にクールだ。


僕の子どもは只者じゃないぞ。






イキリツイート、どんどんしよう





iPhone7plusを買った。


同時に携帯の契約名義が親から僕に移った。


どうやら月に8000円弱もかかってしまうようだ。


こいつへの愛が冷めきらぬうちにたくさん稼いでおこう。


しかし僕はかなり手が大きい方なのに、それでも上手く持てずにしばしば手から滑り落ちそうになる。


みんなは両手で湯呑みを持つみたいに持ってるんだろうか。




最近、調子が良い。


シュビーン、ギュイーンという感じで、頭が冴えている音が聞こえる。


それも、ノンプレッシャーで力を発揮しているわけでもなく、限られた条件の中で上手いこと戦えている感じがする。


昔は自分の無難な性格がコンプレックスで、なんとか悪い人間になって破滅的天才になってやろうと思ったものだが、その頃の僕は性格の良さから得られるアドバンテージの存在を見落としていた。


最近、天才の女の子とセックスしたくて仕方がない。


少しでもあやかってあやかって、天才の真髄を肌で感じたい。


破滅的天才の女性と出会ってしまえば、また悪魔の囁きが聞こえてしまうのではないかという不安がある。


できれば僕の目標であるほのぼの的天才の女の子が良い。


心の弱さは短所ではない。


心が強い人は、同情することはできても、誰かの心に寄り添うことはできないのだ。




最近、イキリオタクという言葉をよく目にする。


イキるとはどういう意味なのか。


人それぞれの捉え方があるだろうが、僕は「自己顕示のやり方が下手」という雰囲気で捉えている。


僕は、自己顕示多めの人間が好きだ。


自分語りは悪いことではない。


一切の自分語りを排除した状態で会話すると、お互いの話にならないので、世間話しか出来なくなってしまう。


アマガミやったことないんか、お前らは。




自己顕示は悪いことではないが、人を不快にさせる自己顕示があることも紛れもない事実。


自己顕示が嫌われる要因は大きく分けて二つではないだろうか。


過大評価への抵抗パターンと、感情操作への抵抗パターンだ。




過大評価への抵抗というのは、自己顕示した人に対して、「お前はお前が言うほど大した人間じゃないよ」と思われてしまうことだ。


過大評価されているものを人は、特に男は徹底的に嫌う傾向がある。


顔がたいして良くないのにモテる男への悪口、まだ二十年ほどしか生きていないがおそらく百万回は聞いた。


他にも大して可愛くないのに事務所からゴリ押しされている女性芸能人の嫌われっぷりなんかもこれに近い。


裏の人間性まで見抜く洞察力を持ち合わせていない人間の僻みだ。




もう一つの感情操作への抵抗。


自分の感情が他者に揺さぶられるのをみすみす見逃すことを反射的に嫌がるという意味だ。


笑ってくれよ感満載の芸人の一発ギャグ、泣いてくれよ感満載の大衆映画。


人はみな天邪鬼と言うまではいかないが、心のセキュリティの甘さを露呈してはいけないという危機回避への意識が働いているのだろう。


当然、尊敬してくれよ感満載のイキリツイートも、尊敬には繋がらず、むしろ逆効果である。




ではどうすればいいのか。


まず過大評価への抵抗対策だが、これは普段の行いから意識して、心の底から尊敬してもらえるようなブランディングを行うしかないと思う。


不思議なもので、ツイートを三つ四つ見るだけで現実での人となりが直感的に分かってしまうものだ。


ネットの世界で尊敬してほしくば、現実で尊敬されるのが一番の近道である。




感情操作への抵抗対策、これは簡単。


そのイキリツイートのお尻にオチを付ければいいのである。


そうすれば、そのイキリ要素もただの素朴な前フリへと昇華する。


「俺オタクだけど彼女同時に三人いたことある、まあ三人にはほぼ同時にフラれてほうぼうで腰の振り方がぎこちないって言いふらされてるらしいけどさ」


イキリカモフラージュ、ネットで生きていくなら必須スキルではないだろうか。




ネットは現実で失敗した人間の受け皿になるべきなのに、今のところその役割を上手いこと果たせていない。


成功至上主義が強くなりすぎている現実も問題だと思うが、どんどん現実に迎合し、近づこうとしているネットもネットでなにを本末転倒なことをやっているんだという感じだ。


ネットの住人のみなさんも、能動的に現実への移住を検討して好きなところに住んだ方がいいですよ。


あなたが今いるそこ、もうすぐ現実になりますよ。




今週は週6でバイトが入ってしまった。


バイトを始めてようやく分かったこと、それは働くと忙しくなるということだ。


小さな歯車、大きなポジティブ。


このスマホを動かすためだけに10時間。


身も心も現実に捧げて、日本を回そう。







贈る言葉





いまから新しいiPhoneを買いに行きます。


このiPhoneは下取りに出すので、こいつでブログを書くのもおそらく最後。


おしりがカッチンカッチンなので今日はこれで終わり。


ただ手ぶらで返すわけにもいかないので結婚したくなるエロ動画を載せておきますね。


https://jp.pornhub.com/view_video.php?viewkey=ph58dafb8c1156d


元が十分可愛いんだからこんな恐ろしいカラコン入れなくてもいいのにね。


結婚したくなった女の子は連絡下さいませ。





今日も読んでいただきありがとうございます




昨日の夜のバイトで、人生初の給料明細を貰った。


15日締めで11日からバイトを始めたため、7000円しか入っていなかったが、こんなに嬉しいことはなかなかない。


メモ帳見開き分くらいの小さい紙だったが、僕にとってはなにかそれがビザのような、お前もこの国にいていいよとお偉いさんから許可を頂いたような気分に浸ることができた。


社会、回したるで。




もっと、弄られたい。


Twitterでバカにされる機会が意外とあまりない。


まだ死んでなかったのかこの野郎!みたいな軽口を叩いてくれる人がそばに欲しい。


僕、怖がられてる?


みんなが思っているより好い声で鳴くよ。




アニサキスにビビって魚を食べない人が急増しているそうだ。


塩焼き用のシャケを刺身にしたりしなきゃ、大丈夫だよ。


今まで魚を食べてお腹が痛くなった経験もほぼないだろうに、いざ半端な知識が頭に入ってしまうと、うっかり恐怖心が湧いてしまう。


大事なのは知識量をやみくもに増やすことではなく、その知識を有効利用できるレベルまで学び切ること。


調べてみると、毛を抜くのも肌にあんまり良くないようだ。


さらに痛いし、時間はかかるし…でも僕は抜くのをやめない。


青汁だって苦くなきゃ健康に良い感じしないじゃないか。


うーん痛い、もう一回。