三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

エモエモ結婚観





 
薄いピンクに紫がちょうど半分ずつ混ざっているようであるという、淡い妄想にすがって生きてきた。


ひとすじの蓮が花開く瞬きを見逃さないための共同戦線か。


あるいは、互いの自己陶酔の輪郭を曖昧にさせ、人格を結合させるたった数十年の過程に過ぎないのか。


僕は結婚したことがないので、結婚がどういうものなのか全くわかっていない。


まるで道は狭いが先は深い洞窟、しかしその実は目の見えない怪物の巨大な消化器官であるように思える。


漫然とした自信、俊敏性を備えた見識、依存欲を励起させるきめ細かさ、今の僕に結婚する素質なんて何一つない。


その欠落感が原動力となり、結婚に対して畏怖と憧れというアンビバレンツな感情が交互に映し出されている。


その影には、社会に滲もうと自傷行為もどきの不可解な言動を繰り返し、子どもの物真似をする日々がある。


僕はとにかく寝るのが好きだ、正確に言えば起きていないことが好きだ。


真の孤独とは眠りの中にあって、その間は誰とも目を合わせなくていいし、相手の気持ちをクロッキーを描くように観察する必要もない。


この上なく楽で、これほど安全な時間の過ごし方を僕は知らない。


僕は今まで常に自分本位の生き方をしてきた。


ただそれは利己主義とはまた違い、内向が極まっているだけのこと。


なぜか世間では奇妙な活用をされているが、外向/内向というのは当人が持ちあわせていないものへ対するスタンスの違いである。


あれもこれもと欲しがった結果、何もない自分を嫌いになっていくのが外向、足りないものはもともと自分には必要のないものだと価値観を積極的に捻じ曲げて、世界を嫌いになっていくのが内向。


僕は究極的には自分以外何もいらないと思っていて、自分がどれくらい自分のことを好きなのか、その情熱を他人に向ける愛情と相対的に比較するために恋愛に勤しんでいる節がある。


そしてもし自分と同じくらい好きだと言える女性が見つかったら、その一つの指標として「結婚」があるだけだと思う。


そんな非建設的な実験に付き合わされる将来のお嫁さんが不憫でならない。




少し話が横道に逸れたが、僕は結婚しても絶対に寝室を別にしたいと思っていた。


それくらいに睡眠という自我を形成する作業が僕の生活にとって大きなものであるということ。


以前友人にそのような話をすると「いや、ずっと一緒にいたいと思える人とじゃなきゃ結婚しちゃダメでしょ」と軽妙な返しを真正面から食らう。


絵空事と言えばそれまでだが、愛情というのは前借りできるもので、身の丈に合わない行動には必ずかさぶたのように追って愛情が加わるものだ。


初めはそれほどの心構えでいなければ、砂埃のような数十年を過ごすことになるかもしれない。


それくらい、僕の哲学や思想をひっくり返すほどのエネルギーを持ち合わせた女性に出会ってみたいものだ。




というところまで加えてまた違う友人に話をすると「いや、寝起きの一番汚いところを最愛の人には見られたくないでしょ」と、今度は重厚な返しを食らう。


確かにそうだとしか言いようがない。


これも立派に愛が詰まった一言だ。


僕の結婚観は揺さぶられ続ける。


まあ、本当にやりたかったのは、明日エモい文章を書かなきゃいけない仕事があるので、それに向けて自分の中のエモを呼び覚ますこと。


エモい文章書くのむずすぎない?


これ、難しいと言うよりはむずいな。


エ"モーション"だからね?動かさなきゃいけないんだよ?別に動かしたくもないのに?


まあ、えーと、婚活も引き続き頑張ります。




 

地獄を見てきた話




リア垢ではとても書けないので、ここに備忘録として書き留めておく。


これから罪を犯そうとしている人や、自分の大切な人が罪を犯そうとしている人に参考にしてもらいたいと思う。


仕事の先輩が先月、逮捕された。


罪名は言えないが、人が聞いた時に出るであろうリアクションとしては「バカだなー」であろうか。


僕はその先輩に可愛がられていた。


野党精神とでも言おうか、なにかを攻撃してはコテンパンにやられてきた人で、周りからの評判はお世辞にも良いとは言えなかった。


それでもなぜか僕にはベタベタに甘く、僕も彼の欠陥の多い人格に愛嬌を見出していた。


僕に仕事をいちばん多く与えてくれたのも彼で、僕も全て断らずに付いていった。


敵の数に大きな差はあれど、味方が少ないもの同士で「僕くらいは味方でいてあげなければいけない」とお互いに父性本能をくすぐりあっていたのだ。





逮捕される前日、噂としてそのような話を聞いた。


オオカミ少年のトラブルメーカーっぷりにまた微笑みながらグループLINEで事態を静観していた。


沈静化する兆しが見えた頃、なぜか彼は今回に限って珍しく凹んでいたようで、それを見かねた同僚がカラオケに連れていったそうだ。


用事があって行けなかったのだが、個室で楽しげに小躍りする動画もTwitterに流れてきたりして、「ああ、いつも通りだなあ…」と和んだのを覚えている。


その次の日に、彼は逮捕された。


カラオケを後にして車に乗ろうとした時、両側の車のフロントドアが開いて、そこに乗っていた私服警官に連れていかれたそうだ。


その一報を聞いた時はまさに青天の霹靂で、部屋中を駆けずり回ってはひどく落ち込んでドッキリを疑ったもしたが、ドッキリであればどれだけ幸せだっただろうか。


それから会社や周りの人間に及ぼす影響の大きさが徐々に露わになっていった。


先輩の中にはフリースタイルダンジョンでもコンプラで流せなくなるような言葉で罵る人が数人いた。


いま留置所でじっとその時を待つ彼も辛いだろうが、出てきた後も絵に描いたような生き地獄を味わうのだろうなと思うと、ただただ背筋が凍った。




留置所には一般的に二十日間の滞在となる。


怠惰に過ごしていれば二十日間なんてあっという間だが、Twitterもできなければ野球も観れない二十日間はあまりにも長い。


いままで巡り合わせもあって平気で一ヶ月くらいは会わないこともあったのだが、いざいなくなると寂しくなって、どれだけ彼の人間が出来ていないか顔を合わせて再確認したくなった。


僕は面会に行かねばならない。


本来であれば最速で行きたかったのだが、弁護士以外との面会は一日一回と決まっているので、彼の家族最優先でシフトのようなものを組むことになった。


土日祝日は面会ができないので、ゴールデンウィークが含まれるこの二十日間は面会希望者にとってなかなか厳しい。


結局同僚との兼ね合いもあって、今日が初めての面会となった。


逮捕から二週間後のことであった。




面会は最大三人まで許されていて、今日は先輩一人と僕の二人で警察署に出向いた。


警察署の中に入ると警官が大勢いて、別段後ろめたいことも無いのにみな僕らの一挙手一投足に注目しているようで変な汗をかく。


すでに一度面会を終えている先輩に連れられ、留置場管理課という所へ行き面会希望の旨を伝えた。


そこから書類を渡され、住所・氏名・電話番号などを記入し、実印を持参しなかったため拇印を押す。記憶にはないのでおそらく人生初の拇印である。


その下に、差し入れについての記入欄が設けられていた。


これは留置所によって違うかもしれないが、差し入れの制限はかなり厳しく、食品や日用品は認められていない。


現実的に差し入れできるのは、現金(中に売店がある)か本くらいだ。


一人三冊まで差し入れができると聞いていたので、ふたり合わせて『寄生獣』の一巻から五巻までと、僕の好きな劇団の脚本が書籍化された『銀河旋律』の計六冊をそこに書き入れ、担当の警官に手渡した。




それから面会室に連れて行かれた。


こじんまりとした六畳くらいの空間がアクリルを二枚重ねた板だけで二つに隔てられている。


なぜかそのスペースだけハリボテ感が強く、コント番組にでも使われた大道具かのように思われた。


二分ほど待った後、ワイシャツの警察官と共に黒ずくめの彼が現れた。


彼は恐ろしいほどヘラヘラしていた。


まるで僕らが犯罪者で、彼が面会に来たかと錯覚させられるくらいに。


開口一番、彼は「この場は、お二人が十五分で僕を何回笑わせるか挑戦する場となっておりますので」と言った。


僕はそれを聞き、すかさず横に座る先輩の方を向いて「帰りますか?」とつぶやく。


冗談ぽく笑いながら言ったが、半分本気で。


そこから彼はほかの面会で発生したくだりを二つ三つ並べ立ててみせた。


心底、興味がなかった。




僕はこの十数日間、彼の対応に追われていた。


彼のせいで回らなくなった仕事をタダで引き受けたりもしたし、方々に謝罪に向かったりもした。


それを堪えられたのは、彼に向けた周囲のヘイトをなるべく軽減し、彼が戻ってくる場所を確保しておくという大きな目的が僕の中に明確に存在していたからである。


そのためには、彼が猛省しているというのもひとつの必要条件であった。


それが一気に崩れてしまったようで、僕は目眩がする思いだった。


彼と目を合わせることができなかった。


睨み殺してしまうかもしれないな、と思った。




キッチンタイマーが鳴り響き、警官が面会の終わりを告げたところで、彼から「よし、最後に一発ギャグ見せてくれ」と要求された。


多目的トイレくらいの狭小空間に、僕の渾身のギャグがこだまする。


「上!上!上!向上心〜!」(キョロちゃんのリズムで)


彼よりも先に警官の顔を見てみた。


喪主みたいな顔をしていた。


アクリル板を突き破って二人ともぶん殴ってやろうかと思った。




帰りの車中で、先輩に向かって「僕は失望したんですけど、どうですか?」と訊いた。


すると先輩は「あれは違うんだ。俺がこないだ社長と面会に来た時に、社長が『ここはお前が慰めてもらう場所じゃなくて、お前がどれだけ元気か来てくれた人にアピールする場所なんだ』とあいつに諭しちゃったからなんだ』と答えてくれた。


そういう側面もあるか、と少し気持ちは和らいだものの、納得はできなかった。


僕は彼に変わっていてほしかった。


反省と元気は同居できるものだ。


あれでは反省しているふりでその場をしのいで、良い人格の前借りがどんどん溜まっていく今までと何ら変わっていかない。


それでは彼が会社に帰って来た後にいずれ破綻し、破滅を招く。


それは僕の望む未来ではないし、僕や彼を応援する数人の心労も浮かばれない。


というようなことを先輩に伝え、彼が帰ってきたらファミレスで現実をぶつけながら頭ごなしに叱る会を開きましょう、と話した。


駅の近くで降ろしてもらい、雨の降る匂いが鼻に届く。


久しぶりにタバコを吸いたくなった。




そして、僕の心配は全て水泡に帰した。


土曜日に処分保留として留置所を出た彼が事務所に来て、その場で社長から彼を解雇・出禁とする旨が伝えられた。


彼もここに居場所はないことをすぐに察し、僕らに向かって頭を深々と下げながら扉を開けて出て行った。


僕はしばし放心状態になっていたのと対照的に、他の先輩はいつも通りじゃれあって悪ふざけを始めた。


辛くて、空しくて、どうにもやりきれない。




僕は昔から平凡で中途半端な自分にコンプレックスを抱いていて、そのせいで人よりも少しだけ犯罪に憧れていた。


今考えると、この上なく愚かである。


彼は全てを失って、僕も色々なものを失った。


僕が得たものといえば、彼がいなくなった分だけ社内の序列が一つ上がったことくらいだ。


これが競争社会の楽しみ方なのか?




憤りが脳の大半を占めていて面会で話したことはあまり覚えていないが、このやりとりだけはまだ覚えている。


「実際、メシって不味いんですか?」


「いや、中のことあんま言えないんだよ」


「それ以外聞かないんで、それだけ教えてください」


「昼飯は丼ものが多いんだけど、だいたいべちょべちょの米の上にキンキンに冷えたあんかけが乗ってるよ」


地獄だ。


中も外も、あまりにも地獄すぎる。


僕はあまり期待していないが、これだけの地獄を味わった人間がこのまま終わるほど救いのない国ではないと信じたい。


遠くから、こっそりと、応援していこうかなと思う。




太もも展に行ってきたので写真をまとめてお見せしたいと思います


原宿で開催中の「太もも世界の写真展」に参加してきました。


気がつくと時間は一時間半も経っていて、写真フォルダもパンパンに膨れ上がっていました。


それらの写真に、僭越ながら僕のインスピレーションで付けたタイトルと寸評を合わせてご覧ください。


ちなみに内部の写真撮影は許可されているどころかむしろ奨励されているくらいなので、皆様も行かれる場合は家にある一番高いカメラを持って臨みましょう。


では、張り切ってどうぞ。




題:水面下

寸評:俺はどこに居らされてんねん!




題:ふるさと

寸評:娑婆での理想的な露出度じゃあ!




題:ホットパンツ

寸評:重力に反逆した右足と、屈服した左足の対比が見事じゃあ!




題:そよ風

寸評:白と肌色しかない!




題:関係性の見直し

寸評:新しいパズルか!




題:六月の始まり

寸評:ソファの座り方知らずに生きてきたんか!




題:理想の私

寸評:ピントが変態じゃあ!




題:妹と今日

寸評:アシンメトリーを有効活用すな!




題:千客万来

寸評:手つきが40代のそれやないか!




題:謙虚

寸評:全然向かい合わん!




題:間違い

寸評:太ももで満足せい!ケツ展になる!




題:水平線

寸評:水揚げされたんか?




題:お昼寝

寸評:すぐジェラートピケに頼る!




題:答え合わせ

寸評:せーので捲るな!




題:甘い罠

寸評:寝てるやつの太もも見たくなる病気のパンデミックか?




題:好奇心

寸評:もはや捲られにいっとる!




題:選択授業

寸評:心底ロッカーになりたい!




題:誤答

寸評:最初に文字書く場所じゃないって気付け!




題:けん玉

寸評:やる気あるんか!




題:プールサイド

寸評:不用意に手を突っ込むなて!




題:長い夏休み

寸評:更衣室持ってかれたんか!




題:水の抵抗

寸評:もう茄子やん!




題:軽快

寸評:どういう靴?




題:本能

寸評:凡人には拝めん画角じゃあ!




題:スマートフォン

寸評:オフィスの風紀が心配になる!




題:浮遊

寸評:普通に泳いでたらそうはならん!




題:共依存

寸評:俺の性癖を不用意に射抜くな!




題:乗り気

寸評:権力が欲しくなる!




題:7秒

寸評:また椅子の下に潜伏しとる!




題:猫と昼下がり

寸評:羨ましい!




題:食感

寸評:飯食う気無いやん!




題:ゴールデンタイム

寸評:太ももから逆算して服作るな!




題:忘れ物

寸評:そのネイルは名実ともにスタッカートじゃあ!




題:損傷

寸評:その太もも持って生まれてまだ不満があるんか!




題:優柔不断

寸評:DMMで観たことがある気しかせん!




題:秘密

寸評:足裏でコミュニーケーションを図るな!




題:安らぎ

寸評:次のアディダスのロゴこれにせい!




題:シーソーゲーム

寸評:もう百合展も開催せい!




題:眼差し

寸評:心中にしか見えんから心配になる!




題:立体交差

寸評:奥行きで勝負すな!




題:独占欲

寸評:「競」の成り立ちのもとになった写真か?




題:チキンレース

寸評:エセ占い師が水晶転がす時と全く同じ手つきじゃあ!




題:日焼け止め

寸評:青春以外の何物でもない!




題:テイスティング

寸評:やつの前世はスケベジジイじゃあ!




題:家出

寸評:女版坂本龍馬か!




題:接触

寸評:もうイチャイチャすな!




題:雲海

寸評:箸置きにしたい!




題:将来の夢

寸評:右の子の太ももが世界レベルじゃあ!




題:溶け込む

寸評:全盛期荒木雅博のスライディングそのまんまじゃあ!




題:クロール

寸評:水が器用すぎる!




題:イルカの気持ち

寸評:コースアウトすな!




題:とある岬

寸評:真面目に風景を見い!




題:待機

寸評:さぞや餅のような触感じゃあ!




題:ファンサービス

寸評:太ももでコード抑えるな!




題:凛々しく

寸評:そのままヘソに向かって転がせ!




題:ヒエラルキー

寸評:受話器みたいな持ち方すな!




題:水の音

寸評:パレオを発明した男への感謝の気持ちが止まらん!




題:目指せインターハイ

寸評:FIRAはとんだスケベスポーツメーカーじゃあ!




題:涼を求めて

寸評:たぶんクラシアンの業者でもそこに座ったことないよ?




題:飼育係

寸評:つける場所からして歩かせる気がない!




題:梅雨の楽しみ方

寸評:紫陽花が天然のレフ板じゃあ!




題:鈍感

寸評:たまに来るこの盗撮感が辛抱たまらん!




題:表面張力

寸評:スケ尻展も同時開催せい!




題:傷つく準備

寸評:太もも綺麗なやつはみんな死にたがりなんか!




題:お酌

寸評:摘発されい!




題:ブルゴーニュ

寸評:どういう儀式?




題:才能開花

寸評:ふくらはぎも捨てがたいのう!




題:空が近づく

寸評:太ももと水の親和性についていけん!




題:虹のふもと

寸評:スク水が泣いとる!




題:母の光

寸評:接写冥利に尽きる!




題:縁側

寸評:真面目にスイカ食え!




題:成長

寸評:ジェラピケの二乗じゃあ!





いかがだったでしょうか?


これだけ連続して太ももを眺めたことがありますか?


世間体、資本主義、納期、嘘、そういうものに疲弊しきった日本人が最も必要とする身近な癒しを芸術の域まで昇華し、大成させた写真家さんと被写体さんには尊敬の念しかありません。


ちなみに、こんなふうに太ももに囲まれて心が洗われるスペースも用意されています。


最高ですね。


5月6日まで開催されているので、ぜひご家族で足を運んでみては?


では最後に僕の太ももを披露して結びといたしましょう。



ありがとうございました。




ただしい現実延命学概論




はじめに、現実は辛く厳しい。


ある時は猛烈に足の小指を蹴ってくるし、またある時は殺意を持って肛門を裂こうとしてくる。


人は目に見える不幸を現実と呼ぶ。


目に見えるくらいの距離では避けようもないが、視野を広く持っていれば受け身を取ることくらいはできるだろう。


ちなみに理想とは目に見えない幸福なので、本来理想と現実は互いに干渉しない概念である。


ただこれまでの行いの積み重ねや自分の意思が介在しない周りの環境によって今の自分が形成されているので、ギャンブラーの誤謬があながち誤謬ではなくなっているのかもしれない。




幸福と不幸はナナマルサンバツのようなものだ。


どれだけ多くの幸福を荒稼ぎしていても、たったいくつかの不幸で人生からドロップしてしまうことがある。


それゆえに人生の攻略法として、不幸を避けることの方が大事であるように思える。


用心深く人生を歩めという意味を含んだ「現実を見ろ」という言葉がある。


表面上は冷徹に見えて、僕らの不幸を蜜の味だと感じる程度の他人からは決して出ることのない、ありがたい言葉だと思う。


僕は「やればできる」という台詞が嫌いだ。


確かに若者はなりふり構わず行動した方が状況が好転するケースが多いのは間違いないとは思うが。


不特定多数が目にするスローガンとしての存在価値には大きな疑問符がつく。


きっとこの言い回しを発明した人間は、生きる才能のある強い人間なのだろう。


強い人間から弱い人間へ何かを与える時の動機として一番初めに来るものは同情だと思う。


弱い人間同士だからこそ、相手の心に寄り添って与えられる言葉もあるのだ。


弱い人間から投げかけられた言葉こそ、その背景に隠された趣意に辿り着くまでよく読み解いた方が良い。




ところで、僕の現実もむちゃくちゃに洪大だ。


もちろん、目に見える不幸の意味で。


先に書いた通り、この現実を現実にしたのは他でもない僕だ。


ただそれの原因となる僕の人格的欠陥があまり見つからない。


これがいわゆる「宗教」だというのか。


自分が好きすぎて、崇拝対象は欠点すらも愛おしいというやつなのか。


それでいて人のアドバイスも知らんぷりというのだから。


ああ、これは一つ重大な人格的欠陥だ。




ほかの欠陥は人に指摘されるの待ちだとして、最近自分で見つけたものが一つある。


それは「ながら行動しがち」なこと。


ここから書くことはすべてADHD予備軍の一言で片付きそうなものだが、まだ民間療法でやっていこうと思う。


例えば野球を見ながら文章を書いたり、キャスをしながら料理をしたり。


とにかく一度に二つ以上のことを同時進行させたがる癖がある。


一つの物事に集中を向けられないからこそ、二つ以上の物事を用意すれば片方に飽きた時にもう片方をやれば良いという能天気な発想である。


僕は言い訳が大好きなので、これはある種のセルフハンディキャッピングかもしれない。


もしくは不器用で愚鈍な人間がおままごとマルチタスクをして自己陶酔に浸っているだけかもしれない。


極めたいくらい魅力的なものを見つけられていないだけなのかもしれない。


とにかく、二つを同時にこなす時の生産力は飽きながらも一つに集中した時のそれを遥かに下回る。


おかげでついに僕はスカスカ人間に堕落してしまった。


観た横浜戦の詳細な内容も覚えていなければ、文章も後から読んで恥ずかしくなるような拙さで、ラジオも一度聞いた回を何度も楽しめてしまうし、肉は焦がさないことの方が少ない。


こう書き並べると救いが無さすぎて、みぞおちがぎゅっと締め付けられる。


こうやって人の倍のペースで現実を量産してきた。


ほとんど現実が服を着て歩いているようなものだ。




この欠陥に救いがあるとすれば、これはおそらく皆が抱えている問題だろうということだ。


地上がなにかに没頭できるくらい幸せな人間で溢れているはずがない。


だからみんな不幸だ。


僕はまだ大丈夫・・・


これがご存知「現実逃避」である。


アンダーラインを引いておけ。


目に見える不幸なんて目をつぶって考えるのをやめてしまえばそれでおしまい。


死ぬまでその不幸と目を合わせなければ、その不幸は最初からなかったことになる。


逃げられる時は逃げまくれ。


そしたらいつか幸せになれる。




現実逃避の難しさは、死ぬまで独りでいなければ逃げ切るのは難しいというところにある。


奥さんや子どもといった他人ではない人達を霧の中のトロッコに同乗させる罪深い行為。


まともな人間の精神では耐えられない。


メンヘラの罪があるとすればこれだろう。


人よりも多くの愛を欲するくせに、すぐに自分だけ現実逃避を繰り返す。


メンヘラとくっつくのは勝手だが、それに先んじてトロッコのレールの辿り着く先を確認した方がいいというのは学術的に証明されていることだ。


ということだけ言い残して今日の授業を終えたいと思う。




チャイムが鳴ったが、久しぶりだから最後に。


僕のブログを読んでくれる人はもはや他人ではないので、ぜひ一つでも不幸にぶつかる回数を減らしてほしい。


それは苦い思いをする僕の不幸を回避することにも繋がる。


まあ、今日のこの文章もDAOKOの『いいこいいこ』を聴きながら書いてるんだけど。


こんなしょうがない僕だが、TLで出会ったらいいこいいこするように。




ちなみに私の趣味で申請した金曜6限の現代乳首学入門、諸事情により開講取り消しとなりました。


ああそうだ、辛く厳しいだろ?


これが俗に言う現実らしいぞ・・・





エスピが死んだ話



昨日は朝から出かけていて、夜遅くに帰宅するとカゴの隅に寝転がっているエスピを発見した。


足以外を地に着けているのを見たことがないので、一瞬で死んでいることを察した。


動物好きの皆さんから怒られる前に言っておくと。


僕なりにいろいろ調べて毎日欠かさず世話をしていたし、昨日だっていつも通り元気にピーピー鳴いていた。


原因が分かりません。




一年半ほど前、出会った時のことを思い出す。


さざ波のような、青と白が綺麗に混ざり光沢を放つ容姿に一目惚れをした。


それから試行錯誤の飼育の日々が始まった。


家を半日空けただけでそわそわするようになった。




少なくとも僕が親ではないと理解できる段階まで分別がつく成鳥として飼ったので、残念ながら最後まで僕には懐いてくれなかった。


もう少し根気強く構ってあげれば良かったのかもしれないとは思う。


しかし、怖がられていることがはっきりと分かっていたので、ストレスで殺してしまってはいけないとなかなかそうはできなかった。


かなり切ない話になるが、エスピが死んで初めて全身をまともに抱いた。


今まで健気に警戒してくれたものだが、こうも無抵抗だと哀しくてやりきれない。


何時頃に死んだのかよく分からないが、羽毛のせいかほんのり温かかった。


長い長い生物の進化の神秘を感じた。


それだけ生きるために姿かたちを変えていっても、死からは逃れられないのか。




エスピが死んだので、この冬初めてエアコンを切った。


部屋がみるみると寒くなっていく。


この冬はエスピのおかげで、人間三大ダウナー要素の一つ「寒さ」を排除することができた。


毎年毛布にくるまって凍えながら眠りに就いていたものだが、それらの冬より幾分か人間的な生活をした。


おかげでここ数年の冬では一番楽しい冬だったかなと思う。


エスピ、ありがとう。





セックス女とスパークル女




先日、Twitterで「#TLが静かなので好みのタイプを言う見た人は絶対やること」というタグを見た。


絶対って言われちゃったし、たまには人が作ったタグに乗っかってみるかと考える。


今までに好きになった子を思い返してみた。


あれ、好きになった子が少なすぎる。




僕は人生で好きになった子が四人しかいない。


そのうちの一人は精通の遥か前なので、文化的な性愛の対象としては三人になる。


ここ十数年で三人とは、なかなか可哀想な男だ。


そりゃ街ですれ違って漠然とこう思うことはある。


「あっ今の子可愛い。この子はどんな顔で喘いで、どんな言葉を持っていて、どんな技を持っているんだろう。たまらんなあ…」


それを好きになったと捉えるならば、僕は今までに好きになった子が65535人いると自信を持って言おう。


僕はその6万人と3人の違いを必死になって探し、ふたつだけ見つけた。


「僕のことも好きになってもらいたいか」


「ほかの男に取られたくないか」




正直なところ、僕は以前までセックスに幻想を抱いていた。


セックスをした男女なら、どんな大きな障壁も乗り越えられると半ば本気で思っていた。


しかしよく考えてみると、自分のことを好きでもないし人に取られて気に留めない女がいたとして、そいつとも平気でセックスはできてしまう。


「可愛い」と言うくらいなのでささやかな愛はあるのだが、これを一緒くたにするのは受け入れられない。


こんな享楽的な行為を愛の象徴だと思っていたなんて、悔しくてとてもやりきれない。


キャスでも課したが、早く狭義のセックスの呼び名をこれを読んでくれた人にも考えて欲しい。


ここではひとまず「スパークル」とする。


この世の彼氏と彼女の数は同じだが、セックスとスパークルの回数は必ずしも一致しないのがなんとも切ないところである。




さて、件のタグになんと答えるか。


僕は迷った挙句「自己顕示欲の弱い子」と答えた。


僕は自己顕示欲の強い女の子が苦手だ、それはなぜか。


まずはセックスができる女、セックス女について。


これはおそらく、気味の悪さ。


男は万人受けに近い形でモテ続けなければ生きていけないが女はそうではなくて、見つかろうと努力する必要は本来無いと思う。


自己顕示とはほぼ求愛行動であり、クジャクが羽を広げるのとほぼ同じだ。


地球上にメスから求愛を始める動物はかなり珍しく、その違和感が僕のバレンタイン嫌いの原因にもなっている(残りの大部分は大量にチョコを貰う男への嫉妬)。


だが現代ではSNSが自己顕示の舞台を完璧に整えてしまったので、強欲な女子が世界に溢れるようになった。


男子の草食化は女性の強欲化と合わせて進行しているように見える。


日に日にボーダーレス化を推し進める女性は恐怖以外の何者でもなく、それでは本当の意味で繋がれなくなってしまう。


境目は繋目でもある。




思慮の浅い男がよく口にする「女はアクセサリー」という慣用句。


これはモテ続けなければいけないというのもあるだろうが、とすれば人が良いと言ったものの価値が高まるという意味で男のほうがよっぽど宝石なのかもしれない。


この言葉を初めて発した人間の本意が「原石は地中に埋まっている」という風であると信じたい。


そろそろパンケーキなんかやめてさ、家でコッペパン齧ってじっと待ってたらさ、いつか熱心な男が掘り返しに来るよ。


え?例えば?……俺、とかがさ………………。




そして僕がスパークルしたい女の子、スパークル女について。


これは明らかで、誰にも取られたくないからである。


他の男に取られないくらいの魅力的な男になれば話は早いのだが、みすみす引き裂かれる不幸度と自分の成長速度を勘定して製作した付け焼き刃。


恋愛体質に生まれなかった故の骨抜きテクの欠如と、今更ドッグタグをつけるような壊滅的お洒落センスが改善されるのはもう少し先になりそうなのだ。


そのぶん、その子の自撮りに平均で100いいねが付くのなら、100人分の勢いで褒めそやす覚悟が僕にはある。


願わくば、僕だけにひしひしと自己顕示をしてほしい。


スパークル女は、美味すぎて誰にも薦めたくない定食屋みたいな存在でいてほしい。


卑小かつ横柄な言い草に聞こえるが、自分の名誉のために実直な希望であると言っておく。




さて、ここまで書いてから例のタグへの新しい回答が浮かんだ。


タイプの話とは少し外れるが、そういう女の子だったら好きになりやすいかもしれないなという話。


セックス女からスパークル女へ昇華する経路の一つ。


それは「ストーリー性」。


おこがましいかもしれないが、運命にときめいてみたくなった。


僕は占いの類を全く信じないが、日頃の行いから導かれる巡り合わせの存在は信じている。


一度でいいからしてみたい、偶然が幾重にも重なり合った数奇な出会い。


相席居酒屋を起点に始まる恋愛のなんと人為的なことか。


平成ももうすぐ終わるが、りぼんの連載で描かれるような昭和のステレオな恋愛。


後から思い返して物語の不安定さにニヤニヤしてみたい。


セックス女と出会うだけならまだしも、スパークル女にはもっとロマンを見ても許されるのではないか。


こんな恥ずかしいことをあけすけに書けるあたり、本当に僕は青春末期だ。




久しぶりに頑張ってブログ書きました。


あなたの分まで自己顕示欲を満たせるようにまた頑張ります。


美味すぎて誰にも薦めたくない定食屋で働くおばちゃんくらい頑張ります。





アレちゃんのツイート自己採点〜2月前半編〜



コンバ君に「アレさんのツイートは長い」とお叱りを受けた後のつぶやき。前日初めて食べたチーズナンのあまりの美味しさに涙を流し、「チーズナンを含める」というコンセプトから逆算して考えたただの嘘。

30点。オチが注意では弱い。




人に見下される事ってあと少しのアイデアがあれば商売として成立しそうだなって考えていた時のつぶやき。笑いながら排便する人と泣きながら射精する人は問答無用で面白い。その破滅に国境はない。

25点。「漏らす」を大便の意味で言ったつもりだったが、これなら失禁にも聞こえる。勿体ない。




僕はあまり福士蒼汰が好きではないのだが、フライデーされた福士蒼汰の写真が今までに見たどの福士蒼汰よりも男前で本当に悔しい。ちなみに例の紙袋は「KLON」という時計メーカーのものらしい。

30点。世間の人間はそこまで福士蒼汰に興味がないらしい。




これだけ継続的にぱいぱいでか美を弄り続けているのも僕くらいだろう。こんな縦横無尽な名前でテレビに出られるなんて、羨ましい以外の感情が湧かない。

15点。世間の人間はそこまでぱいぱいでか美に興味がないらしい。




上手いことを言っているように聞こえるが、大きく外した記念に名前を残すフレンドパークと狙ってへそに射精できているへそ射では全く逆の事柄である。

5点。そもそもそんなにへそ射が好きではない。




多くの人と接触する一軍の方がインフルに罹る可能性が高いことに気づいた時のつぶやき。ナイトプールはいつまで流行っていたのだろうか。あれも電通の気まぐれなのだろうか。

35点。「夏に」は要らなかったかもしれない。




あまりに寒すぎて三枚目の布団を押入れから引き出した時のつぶやき。暖かくて重くて、ほぼ騎乗位だと思った。

10点。漢字が多い方が四十八手ぽく聞こえるが、拘りを読みづらいので避けた結果中途半端になってしまった。




勃起の言い換えをいろいろ考えていたところ「成る」が浮かび、それを藤井五段と紐付けしたつぶやき。藤井五段を弄るなら半年遅い。

10点。「性に疎いので」が要らない。




一年前くらいからきのこたけのこ構文は擦り倒してきたが、改行を入れただけで評価が変わった。味を占めてまたやりたいと思う。

35点。セルフパクツイ。




個人的には好きだが、全くウケなかった。

5点。確かによくわからない。




嘘の多い僕のつぶやきの中では珍しく実話。「カフェ巡り」の500倍は印象が良いので日本人女性にも真似してほしい。

50点。ちなみに申請は蹴りました。ベトナムまんこはちと怖いです。