三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

【アレックスの乳首開発日記】第二章・才能開花編



乳首の開発を初めてから三日が経った。


痛みはほぼなくなっていたが、形容しがたい苦しみだけが残っている。


やはり神経の大都会にぶっ刺してるだけあって、左半身がざわつき、小さい竜巻がぐるぐると駆け巡り続けている感じ。


このやるせないもやもやを誰かに告げようか?


この限りないむなしさの救いはないだろうか?


この燃えたぎる苦しさは明日も続くのか?




乳首のせいで神経を擦り減らしてしまったからなのか、いつもより遥かに早い、21時に夢の世界へと落ちてしまう。


そのせいでTwitterで予告した22時にキャスを開くことができず、日付が変わる一歩手前になってようやく寝ぼけ眼で配信を始めた。


キャスではまるで台本があるかの如くスムーズに乳首の話になり、二枠目に突入したところで実際にスポールバンを剥がす流れになった。


痛くはなかったが、スポールバンはぴたりと乳首に密着しており、下手すれば貼るときよりも恐ろしかったかもしれない。


思い切り剥がされ、三日ぶりに露わになった自分の左乳首を眺める。


・・・あれ?僕の乳首、こんなに大きかったか?


まるでバネのように、抑圧されていた分だけ飛び出てきてしまったのか?


「よかった、穴は空いていないね」


「刺した跡から血が滲んでたらどうしようかと思ったよ」


左乳首がすこし肌寒い部屋の空気に触れ、両肩にぐっと力が入る。


さて、ちょっと触ってみようか。




「待て」を解除された飼い犬のように嬉々として左手で触ってみたが、心底驚かされた。


感度が、もう全然違う。


幸いにも右乳首にスポールバンは貼っていなかったため、ビフォーとアフターを比較することができる。


右手で右乳首をつまむ、離す、左手で左乳首をつまむ、離す、右乳首、左乳首、右、左、右、左・・・。


明らかに敏感になっている。


右はほんの先端を触られているとしか感じないのに対し、左はもっと重い感覚で、触られている感覚としても借りてきた大きな乳首をつままれている感じがする。


快感を欲していたというよりも、童心に帰ったかのような知的好奇心から、ひたすら乳首をこねながらキャスを続けた。


何ヶ月、何年先を見越して開発を始めたつもりだったのに、たった三日で効果が出てしまうなんて。


我が乳首の持つ、末恐ろしい素質にときめきが止まらなくなった。


画像:才能開花のイメージ




僕のキャスでは本当に珍しいことなのだが、まだ聴いている人がいるのにそそくさと挨拶をし、時間の途中で配信を切った。


それくらい乳首への刺激に没頭したくて、言葉を選ばず気持ちの悪い表現をするなら、ムラムラしていた。


座椅子に座ったままベッドから掛け布団を引きずり下ろし、頭からざぶんと被る。


そのまま、卑小な闇へと溶け込む態勢を取った。


やっぱり、絶対、敏感になっている。


爪で先端を引っ掻いたり、親指と人差し指で回してみたり、人差し指と中指で挟んでみたり・・・


嬌声をあげるほどのはっきりとした多幸感はなかったものの。


ぼんやりと優しくて、暖かくて。


意識こそはっきりとしているが、心と体がくらっと眠りにつく直前のように。


乳白色の薄いもやがかかったり、湖畔のような静寂に、たまに少し強い風が吹いて。


喉がぐいいっと伸びて、両眼はまぶたの中で空を見上げる、背中は断続的に、ほんのりと感電しているようだった。




勃起自体にはかなり前から気づいていたが、ふと鈴口に触れてみると、我慢汁で満たされていることに気がついた。


そもそも僕は我慢汁があまり出ない体質で、ましてやAVも観ていなければ相手もいない状況で出たのは記憶にないくらい久しい体験だった。


本能が働き、僕は右の乳首にも手を伸ばした。


すると、今まで乳首で感じていた強さの倍どころではない快感に襲われてしまう。


1.5+1=8くらいの感覚。


そうか、今まではもう片方の手が塞がっていたから気づかなかったんだ。


両乳首を同時に刺激するのって、こんなに気持ちいいんだ・・・。


明日を迎えるのがいやになった。


このままずっと埋もれていたい。


つらい朝が来たら、短いタイムカプセルのようにスポールバンを貼ろう。


思ったより早く無くなっちゃいそうだなあ。


明日からは倍貼らなきゃいけないんだもんなあ・・・。




【アレックスの乳首開発日記】第一章・刺突体験編



乳首を開発するにあたって、まずは情報収集。


毎日5分間電マを当てるやら、一日6セットで乳首を指でいじるやら色々な手法がヒットした、が。


どうやらそれらは効果が薄く、数年単位での開発になることもしばしばだそうだ。


飽きっぽい僕では到底開発しきれそうにない。


そこで僕が目をつけたのが"スポールバン"による開発。


聞き慣れない言葉だと思う方も多いと思われる、これがスポールバンである。




構造としては、磁力によって患部の回復を図るピップエレキバンに鍼(はり)を組み合わせたものである。


つまり、乳首に針を刺し続けるということ。


これにより寝ても覚めても勝手に開発が進むという、それこそ夢のような話が現実のものとなる。


「女に生まれなかったばっかりに、親からもらった大事な身体に針をぶっ刺すことになるなんて…」というペーソスを帯びながらも。


思い立ったが吉日、さっそくAmazonで30本入り(テイとしてはテープのはずだが、針が付いているので本で数えるようだ)のスポールバンを購入した。


ちなみにAmazonでの料金設定はこんな感じである。




さて、それから四日後。


スポールバンの入っているであろう薄い小包と、エネマグラが入っているであろう段ボールを受け取る。(エネマグラはまた別のお話である)


届いたスポールバンがこちら。




「肩のコリにも筋肉の痛みにも悩まされていないけどな・・・笑」とにやにやしながら箱をこじ開ける。


箱の中からは、ノスタルジーを優しく撫でられるようなおばあちゃん家の香りが漂ってきた。


ところで届くまで気になっていた、針のサイズ。


画びょうサイズなのではないか?乳首が壊れてしまうのではないか?という小さな不安。


しかし、シートを見渡してみても針が見当たらない。


じっと目を凝らしてみる。


すると確かにシートの裏に存在していた、本当に小さな針。


こんな小さな針は見たことがない。


自分でも驚くほど滑らかにテープと左乳首が吸い寄せられてしまう、まるで半年ほど前からずっと使い続けているかのように。




ペタッ。


・・・。


・・・・・・。


痛みはほぼなかったが、じんわりと左胸が温まるのを感じる。


ああ、ここからようやく始まるんだ。


針と乳首という決して交わることのなかった両者が、しなやかに絡まり合って新しい僕を紡いでいく。


姿見で乳首がどうなっているかを確認してみた。


けっこう恥ずかしかった。




スポールバンを貼り始めてから数十分ほど経った時のこと。


何度か軽く手のひらで押さえ、じんわりと温もりが広がるのを愉しんでいた。


しかし、あるところでいつものように左乳首を軽率に爪で引っ掻いてしまう。


刹那、乳首へと電撃が奔流(はし)る・・・!!!




痛すぎてちょっと泣いた。


なんで手のひらだとなんともなくて、爪だとこうも痛いのか。


左半身が重たくなって、左腕を折った人のように一挙手一投足が怖くて仕方がない。


こんなもん、乳首のイップスになるわ。


歩き方すら少しぎこちなくなって、モチベーションもダダ下がり。


快感への道のり、あまりにも険しすぎる。




とりあえず数日間着け続け(スポールバンは防水加工もされているのでシャワーすら耐える)、乳首がどう成長したかをまた随時報告したいと思っています。


興味のある方はぜひ僕と一緒に始めましょう、僕は伴走者を欲している。


それでは。




今までありがとう。僕は女の子になる。




おっぱいがあって。


いい匂いがして。


スカートを履けて。


可愛いものに可愛いと言える。


神様、聞こえますか。


僕は女の子になりたいのです。




たしかに、男として生きるのはとても楽しい。


熱くて、面白いことがたくさんできる。


でも、たまに思ってしまうことがある。


ふわふわと斜めに街を歩いてみたい。


甘いものを恥ずかしがらずに食べてみたい。


僕達は、違う人間になりたかった。


ささやかな、たった一つのちんちんが。


体にも心にも重くのしかかる。


もしも、自由に行き来ができたなら。


どれほどわくわくするだろう。


鏡に向かって服を選ぶように。


朝ごとに、どっちの自分になるかを決められたら。


この世界は、辛く厳しかった。


ほんの一日も女の子になれないなんて。


ほんの一秒も女の子になれないなんて。


こんなのおかしくない?




中学で女の子の存在を知った。


知れば知るほど不思議な生きものだった。


女の子にはちんちんがないのに。


あんなに気持ち良さそうな顔ができる。


テンピュールのようなやわらかい肌。


丸くて真っ赤な唇。


僕は女の子になりたい。


僕は女の子になりたい。


ある時、自分だと思って女の子を見た。


すると、自然と胸が熱くなって。


頭がぼーっとして。


息が苦しくなる。


女の子って、こんな激しい時間なんだ。


また次の日も、僕は女の子になった。


なればなるほど、僕は女の子になった。


僕は女の子がとてもよく似合っていた。


中途半端な女の子より、もっとずっと女の子だった。




大人になった今でも、思い出してしまう。


僕は女の子になりたい。


雲間から光が差し込むように。


気を抜けばくすむ世界を、きらきらさせたい。


来世なんて、あるかないかもわからないものに。


僕の幸せは任せられない。


僕は、僕の手で、女の子になる。


女の子になって、女の子みたいに気持ちよくなる。


朝に選べないなら、夜に選べばいい。


怖かったら、引き返せばいい。


ひとつだけじゃ物足りない。


気持ちいいものはぜんぶ欲しい。


僕は、僕は、女の子になる。












というわけで前立腺と乳首の開発に着手します。


手始めに、3000円のエネマグラ(ローション付き)と1500円のスポバンを買いました。


届き次第、実際に使ってみてレビューをします。


また、開発の進捗状況は随時こちらのブログにてお知らせしたいと思っています。


応援メッセージ、アドバイス、罵声などございましたら、気軽に投げかけてください。


それでは、来たるべきニューアレックスにご期待ください!




注:本文には多少の過剰表現が含まれております。女性への尊敬・好奇心が人一倍強いのは間違いありませんが、アレックスさんは生まれた時も現在も、心身ともに"男"です。ちんこを見ても興奮しません。





書くことがないのでちんこの話でもしようかと思う




僕は場を繋ぐために初対面の人によく趣味を聞く。


副産物として、その趣味から独断と偏見で人となりを推定するのだが「人間観察」と答えた人間が何人かいた。


奴らはもれなくヤバかった、それも十人十色のベクトルで。


ある奴は森羅万象が手に取るように分かっているつもりのサブカルクソ野郎、ある奴は音楽に溺れた社会不適合者だったりと・・・


自分の身は自分で守れるはずだ、皆さんもそんな奴らにはぜひ気をつけて頂きたい。


話が逸れたが、今日は僕の趣味である人間観察についてのお話をします。




僕は東京へ遊びに行くのが好きだ[注1]が、人と会う都合以外は旅程甘決めのままで向かうことが多い。


というのも、東京で暇を持て余すリスクが僕にはない。


ぼんやりと駅前のベンチに座り、イヤホンを耳に挿しながら街行く人の波を眺めているだけで、平気で映画一本分くらいの時間をドブに捨てることができてしまうのだ。


ちなみに僕が今までで一番「東京凄えな!」と思ったのは上野駅、ブルーシートの上でみたらし団子をかじるホームレスおじさんと、パステルカラーのロリータ嬢が同居していた、その光景である。




ところで僕は人のどこを見るか。


男なら主にファッションを見る。


そもそも僕はイケメンが好きで[注2]、その顔とファッションを見て点数をつけ[注3]、80点以上の男をスクラップにして心のアルバムに閉じていたりする。


そして服屋に赴いた時にそのアルバムを開き、それに似た服をアルバム買いするのだ。


ちなみに40点以下だと心の中の植松晃士[注4]が高らかに「おブスで〜す」と鳴く。




さて、女性を見た時はどうか。


僕の中で一時期トレンドになっていたのは、顔を見て「イヌ顔部屋」「ネコ顔部屋」「それ以外部屋」の三つの部屋に仕分けするという楽しみ方だ[注5]。


各々の動物観によると思うが、決まって混雑するのはイヌ顔部屋だ。


ちなみに"それ以外"には、キツネ、タヌキ、カエル、カバ、ワニ、ニワトリ、パンダ、カマキリ、ムーミンなどが該当する、飼育員さんも大忙しだろう。


ちなみに僕の趣味[注6]はというと、造形的にはネコ顔、リビる[注7]かどうかではダントツでイヌ顔になる[注8]。




ここから次第にちんこの話へと移行するグラデーションの美しさを鑑賞して頂きたい。


三つの部屋の中では、やはり夜になると彼女らがどうなるかを思い描いてしまう[注9]。


ここでのキーワードは「意外と…」だ。


真面目そうなリクルートスーツのお姉さんが意外とキス魔だったり、スマホ二台持ちのお姉さんが意外とプレーンなパンツだったりと・・・。


僕がライトメンヘラ[注10]好きな理由もそこにあって、どの男にも今まで採掘されてこなかったが故に自分の魅力に気付けていない女性を力強く掘り進めたい。


女を上げて自分は落ちる、全力で衝突して対消滅したい願望が心の奥には在る。


僕は「体目当て」という言葉が嫌いだ。


誰しも一度は「男女間の友情は存在するのか」の議題に対峙したことがあると思うが「しない、どうせ体目当てで近づいているから」という回答のナンセンスさといったらない。


同性間の友情だって、例えば一緒にいて気を遣わないとか、自分の好きなアニメの話ができるとか、何かしらの"目当て"があるはずなのに、どうして体だけ場合分けしてしまうのか。


僕は恋愛も含め人間関係なんて互いが得しなければ嘘だと思っている。


体目当ても決して悪いことではなく、ご飯を奢るなどそれに見合ったものを返してあげればいいだけの話である、と僕は思う。


あとライトメンヘラは性欲が強い。




加えて女性とはギャップという資源を抱えながら生きていて、僕はそれを採掘するのが好きだ。


マクロな話に逸れるが、この国の経済を回しているのは紛れもなくギャップである。


ここにおけるギャップとは非日常、いわゆる「間違い」と言い換えられるかもしれない。


残業終わりに会社の非常階段で立ちバックしたり、義妹のケツを揉みしだいだり[注11]、間違いを犯すためならば人はパラメータ上げの反復作業に励むことができる。


間違いには中毒性があって、間違っていることの方が面白い。


どうかこれを読んでくれた皆も間違いだらけの痛快な人生を送っていただきたい。




最後に、街行く人々に気付かされたことを二つ書いておこう。


一つは歌舞伎町で思ったことだが「水商売の女性は意外と帰る時笑顔」[注12]ということ。


僕は風俗に行ったことがないのでよく分からないが[注13]、「嬢は営業スマイルと普段の表情の落差が千賀[注14]のフォーク並にある」という偏見を抱えていた。


しかしJR新宿駅の東口で目にした女性はみなきらきらと輝いていて、まるで甲子園で一勝し校歌を斉唱する時の21世紀枠の球児[注15]のごとき笑顔で、僕は腰を抜かした。


よくわからないが「逆に夢壊れるわ!」と思ったことを覚えている。


その彼女らの笑顔の要因として色々心当たりはあるが詮索はやめにしよう、なんにせよ笑顔なのはいいことだ・・・!




もう一つは「みんな意外とセックスをしてない」ということ。


たぶん皆なにかしら性生活に不安を抱えていて、隣の芝生が真っ青に見えているだけの話である。


全くもって人のことは言えないが、ギャップ専門家の僕からすれば夜の男どもは"意外と"童貞ばかりであるように見える。


冷静に自宅の敷地内の芝生と向き合い、自分に足りないものを補う努力さえ続けていけば、いつの間にか人よりもたくましい芝生[注16]が茂っているはずだ。


というわけで、僕はいま、包茎手術の相場を調べています。[注17]



写真:内気な男性




またしてもツイキャスのトピックに脚注を貼ります。なくてもいい駄文のデザートをお楽しみください。





遅くなりましたが、今年の夏休みの自由研究がこちらです




あのー僕、すごいものを見つけたんだけど、知ってるかなあ?


""音楽""って言うんだけどさあ・・・(舐めきった序論はとても気持ちが良い)




音楽の素晴らしさは、感情を柔軟にコントロールできるところにある。


楽しさを爆発させたい時は一本のダイナマイトに、悲しみを収めたいときは一枚のハンカチになるように。


精神を任意の感情へ染めるための触媒[注1]として働く音楽を、誰しもが持っているはずだ。


ここで、聡明な僕ゆえの明察っ・・・!


気づくよな・・・今まで、その気づきで他者を圧倒してきたのだから・・・!


ああ、それは気持ち良くなりたい時に聴くべき音楽があるはずということだ・・・![注2]




これは僕がまだ自意識を尖らせていた頃・・・(あたかもむかしむかしの話のように語り出したが、比較的最近の話である)


以前は死人の心電図のごとく平坦でつまらない日々を過ごしてきたが、とある日を境に、不意に異性にチヤホヤされてみたくなった。


それからというもの、香水をつけてみたり、相席居酒屋へ身一つで飛び込んだり、スケベなソファを買ってみたり、小手先の小手先で恋愛"もどき"を黙々とこなしてきた。


その甲斐あってか、当社比で頭数だけは多くの女性とくっついたり離れたりする[注3]日々を過ごした。


そのさなか、僕の持って生まれたサービス精神が高じて(低じて)、ライトメンヘラガールとの宅セク[注4]中にiPhoneで音楽をかけたことがあった。


それは(この人、宅セク中にiPhoneで音楽をかけるとは、なんてオシャレな人なんだろう!)と思われたかった部分ももちろんある。


が、浴室で数々の水滴が衝突し合う轟音を聞いた後の真夜中の日本、あまりにも静かすぎた。


沈黙に耐えられず、iPhoneの画面を下からスワイプし、その時によく聴いていた『becoming』[注5]を思い切って流してみせた。


相手の顔を覗き込んでみる。


信じられないくらいの、美しい無表情だった。


そのまま自然体を装って添わせ寝[注6]を始めようとしたが、聴くとiPhone「いつの間にか君なしじゃ息もできない〜♪」と切なげに歌っていた。


相手が心なしかほくそ笑んでいるように見えた(たぶん聴いちゃいない)


メンヘラが!ほかのメンヘラを馬鹿にするんじゃあないよ!!!(たぶん聴いちゃいない)




それに懲りず選曲について唸り悩み続ける、全ては相手に気持ちよくなってもらうためであり、相手の快感は僕の快感でもある。


ピンサロよろしくYouTubeでギンギンのユーロビートを流したり、逆にクラシックが良いのかと『雨だれ』[注7]を流したりもしたが、シナシナのパサパサでどうも満足のいく反応が得られない。


そのうち僕は一つの結論に辿り着いてしまった。


・・・音楽、いらなくね?



そもそも、日本の静かさを音楽でかき消したいのなら、一人で自室にこもって耳をイヤホンで塞げばいいだけの話。


なにも太陽に背いて真裸になる必要なんかこれっぽっちもないのだ。


音楽は万能だが、唯一寂しさへのキキメは無に等しいのだ!


世の音楽好きよ!わかる!わかるよ!


音楽は今まで僕らを救ってくれたけども!


違うんだ!寂しい時は音楽じゃない!


寂しけりゃヒトの声、ヒトの音を大音量で聴きまくるんだ!わかったか!!!


あとユーロビートはダメだ!ケツが攣るゥ!!!!!



ところで、ふつうは人が曲を選ぶはずだが、ごく稀に曲が人を選ぶことがあって、僕はこの事象を「選人」と呼んでいる。


朝まで僕の部屋にて男女数人と人狼をやったことがあって、それから昼過ぎまで雑魚寝をしたことがある。


それからふわつく身体でIGGY POP FAN CLUB』[注8]を聴きながらコンビニまでお茶を買いに行った。


一曲リピートを続けたまま部屋に戻ると、みな輪になってしょうもなトークを繰り広げていたが、一人だけ未だに平らに倒した座椅子[注9]に寝転んでいた女の子がいた。


窓からの西日に照らされた不思議な横顔から数秒間、目が離せなくなった。


奇跡らしい奇跡も久しぶりで、濁流のような劣情を催したのは忘れられない・・・。

君は家猫娘だった
この部屋でいつも寝転んで

俺のこの部屋に入り込む夕陽に映る
君の顔見とれてた俺は
まさに赤色のエレジーだった!!



それから一週間か一ヶ月か、あの子のことが好きに"なりそうに"なって仕方がなく、ナンバガがいなければ生まれることはなかった余剰性欲と戦い続けていた。


さすが音楽、哀しき色情においては効果てきめんで、恐ろしくキキメが長い。


結局、彼女は夕陽の差さない時間に僕の家を再訪し、二人でめくるめくセッション [注10]を繰り返した。


人が音楽の言いなりになった歴史的瞬間である。


皆さんも、「選人」には気をつけましょうね!!!



おしまい





脚注はツイキャスのトピックに貼ろうかと思います。読みたい人はそっちも読んでください。我ながらオシャレなシステムだ・・・!




IGGY POP FAN CLUB




僕は中学の頃にZAZEN BOYSの楽曲を初めて聞いた。


都会的であり民謡的でもあるような、なんとも形容しがたい、とにかくこれこそが最新鋭の音楽であると思い込み、ずっと聴き続けていた。


しかし、ZAZENは常聴するにはどうもヘビーすぎた。


目まぐるしい変拍子、細切りにされた複雑怪奇なリフ、おぞましい蛇のような曲構成。


僕はいつしかZAZENの中でもらしさのない、クセのない四つ打ちの曲ばかり聴くようになっていた。




それから数年の月日が経ち、僕はひょんなことからNUMBER GIRLの曲を聴くことになった。


それが『IGGY POP FAN CLUB』である。


後から知ったことだが、この曲はナンバガ解散ライブの最後の曲であり、演奏終了後の言葉も「乾杯!」だけ、アンコールにも応えなかった。


ステレオタイプ九州男児らしい、確固たる意志を感じる。


僕はその終わりの曲が初めての曲だったのだ。




ピアノを15年、バンドを5年やっていた身としてつくづく思うが、バンドという集団はどうあがいてもボーカルのワンマンにしかなりようがないのだ。


ギターの電子音、ドラムの打音、それらはどう頑張ってもボーカルの歌声には勝てない。


もちろん同じ言語圏の人にしか伝わらないが、ボーカルだけが一つ上の次元の媒体を持つことを許された存在である。


だからと言ってボーカル以外は必要ないのではなくて、言うなればボーカルは市長で、その他のパートは市民なのだ。


市に市長だけが存在するのは不可能で、市長を市長たらしめるのは数々の市民であり、市長も一人の市民に過ぎない。


同じようにバンドだって、メンバーがいなければその言葉に耳を傾けてもらえないのである(ゆえに、ライブで歌詞が聞き取れないバンドなど言語道断である)。




札幌で披露した『IGGY POP FAN CLUB』、これはNUMBER GIRLの最高傑作であると僕はずっと思っている。


オルタナを標榜していながらこの曲はロックの王道を突っ走っているかのようだし、バランス的に見て一つのバンドサウンドとしての極致である、と僕は思う。


今はパソコンが普及したおかげで人工的に呼吸を合わせている"かのような"音楽を生み出すことが容易になってしまったからか、上手いバンドはいても全体感に乏しいバンドが多い。


ナンバガ後期では後のZAZENに継承されていくような和テイストの強い音楽の開拓に勤しんでいた向井秀徳だが、それも手探りで音を重ね合わせていく集団において奇跡的に早熟すぎたせいかもしれない。


その最後にこの曲を持ってきたこと、ナンバガの一体感に対する彼なりの矜持、感謝が滲み出ていて、それに応える勝負強いメンバー。


そのおかげで札幌のライブ音源は今でも僕の心を揺さぶり続けているのだ。


ひょっとしたらバンドというものは解散してからが本番なのかもしれないと思わせてくれる。


NUMBER GIRLはこの曲をファンファーレに最高のスタートダッシュを決めていったのだ。




さて、肝心の曲についてだが、コードも複雑なものは出てこないし、ギミックもほとんどないシンプルな曲に仕上がっている。


一つあるとすれば、札幌の音源は5分あるが、歌詞を全て歌い切るのには2分しかかかっておらず、言ってしまえば曲の大半は「余韻」に費やされている。


歌詞を読めば誰でもわかるが、テーマは青春末期の懐古だ。


漫画で言えば丸ではなく綿雲のようなフワフワの吹き出し


そこからいきなりハッと我に帰るとすれば、それは寝汗をかいて見たような悪夢であるが、余韻が長いとすれば本人にとっては甘い記憶で、それゆえに今がむず痒くて仕方がないのだろう。




それから向井秀徳の書く歌詞のほとんどがそうだが「寂しい」「辛い」といった感情を指す言葉が入っておらず、ただ体験や光景をそのまま言葉にしている。


そのために入り混じる感情の構成比をこちらに分析させるのが、語弊を恐れずに言うと「上手い」なと思う。


たぶん音楽の記事なんてしばらくは書かないと思うので書いておくが、それが贅沢なフリになって「とてもさびしい」とセンチメンタルに吐露しているZAZENの『sabaku』もまた心を揺さぶられる。




それからEメジャースケールのこの曲において、サビのノンダイアトニックコードのCコードが全体を通してひときわ印象に残る。


このコードがサビ(と言えるほどはっきりした展開はないが)に入って歌詞の上での時制が切り替わった後に流れ、そこから駆け上がっていく。


このフレーズが谷底まではいかないまでも、手に届かない崖の上に咲く花を眺めている今の「俺」を象徴しているように感じる。


自分の部屋に来てもずっと寝転んでいて、自分の好きな曲を否定してくるような女に見とれてしまう、なかなかに形勢の悪い恋愛であったようだ。


そんな恋愛ほどもったいない精神が働いて気持ちを清算できないものであり、爽やかな曲調がより一層その不条理さに拍車をかけている。




ちなみに、歌詞の内容としてはZAZENの『YOU MAKE ME FEEL SO BAD』と酷似している。


あっちはお世辞にも曲調が明るいとは言えないが、あれは喧嘩別れの直後の感情を歌った曲なので、一つの恋愛と見立ててそっちから聴いてみても面白いかもしれない。



君は家猫娘だった
この部屋でいつも寝ころんで
俺のこの部屋に入り込む夕陽に映る
君の顔見とれてた俺はまさに赤色のエレジーだった!!

何度となく聞いたこの部屋で

君の夏 初体験物語
このレコードを君は嫌いって言った
この曲を笑いながらヘンな歌って言った

あの曲を いま聞いてる
忘れてた 君の顔のりんかくを一寸
思いだしたりしてみた


良い文章を書きたければオシャレして街に出ろ




突然だが、140字で官能小説を書いてみたので読んでほしい。




・・・彼女は真綿に針を包むように私の一物を握った。


尻馬に乗ったように激しく上下に動かされ、私は色をなしてしまう。


しばらくして、快感のあまり腰が抜けたかと思うと、蜘蛛の子を散らすように射精してしまった。


彼女は精が出た私の物を咥えて甘い汁を吸うと、それを吐き出し、オブラートに包んで捨てた。






最近の僕はありがたいことに言葉を扱う仕事を頂いている。


それをこなすたびに思うことは、"難しい言葉"を使いこなす能力の必要性は僕らが思っているよりもはるかに低い、ということだ。


難しい言葉を使うメリットとしてまず思いつくのは二つ。


・より深い、鮮明な表現が可能になること。


・賢い印象を与えることで、文章に説得力を持たせること。




学術的な正確性・再現性の求められる文章には難しい言葉を使わざるを得ないが、ここから書く「文章」とは創作としての自由度が高いものを指す。


ひとつめのメリットに関しては難しい言葉を使う理由になりうるが、それも実は簡単な言葉を多用するアドバンテージには勝てない。


簡単な言葉を多用すると、文章の裾野が広がる。


年齢や読解力に左右されにくく、多くの人に読破してもらいやすい文章に仕上がる。


文章にとっての"スタートライン"ははじめのページを読んでもらうことではなく、最後のページまで読破してもらうことだと、個人的には思う。


そこから読者の心が描いた軌道がどれだけ美しかったかを後から覗き見するのが、物書きの正しい楽しみ方だろう。


創作とは双方向性のエンターテイメントであり、リアクションがあって初めて完結する。


世に発信しておいて「自分の書きたいものだけを書き続ける」というのはあまりに傲慢だし、僕には思考停止しているだけにしか見えない。


創作者はそれに早く気づくべきだし、いつまで経っても気づかないのであれば、才能がない、と言わざるを得ない。




それから、あまり言葉の力を信用しすぎない方が良い。


そもそも言葉とは自分にしか見えない世界を写し取って他者と共有するために生まれたものだが、これを完璧に行うのは、どう考えても不可能なのだ。


脳波を直接コピーして相手の脳にぶっ刺す電極でも発明しない限り、これはどうしようもない、無理だ。


絶対に倒し得ない敵に立ち向かうよりも、人によっての微妙な差異を楽しむ方が、僕は賢いやり方だと思う。


そこで簡単な言葉の力が活きてくる。




簡単な言葉というのはみな使い慣れているものなので、今まで目にしてきた光景がそれぞれに少なからず紐付けされている。


その主流の意味とはあまり関連性のない思い出が一気に解凍された時、その時間差が大きければ大きいほど強い感動を覚えるような気がする。


ここに、本をよく読むと人生が豊かになるとされる理由が隠されていると思う。


エビングハウス忘却曲線を見るとわかるように、昔の記憶をずっと留めておくには、時折記憶をつついて思い出してあげることが大事なのだ。


継続的に文章を読むことで、歳を取っても昔の記憶が色濃く残っているような、若々しい人生を歩めるのだと思う。


もしかしたら、文章とはそれそのものに大した意味はなくて、各々の懐古のための触媒でしかないのかもしれない。


読書が嫌いだと言ってのける人は、今まで歩んできた人生が味気のないものだっただけなのかもしれない。




長くなったが二つめ、説得力について。


説得力を出す方法はいろいろあって、そのうちの一つに難しい言葉を多用するというのもあるかもしれないが、結局はマンパワーで押し切るのが正攻法であるように思える。


文章とは不思議なもので、消極的な読者でも読んでいるうちになんとなく作者のパーソナリティが浮かび上がってくる。


さらに積極的な読者は作者の正体をプロファイリングするためにその人の作品を読み漁ったりする。


一見手段と目的が逆転しているように感じるが、人間と人間の間に作品が介在している原則を思い起こせばさほどおかしくはないと思う。


ポナンザがいくら強かろうとプロの棋士がいなくならないのと同じ。


将棋ファンが純粋に凄い将棋を見たいだけではなく、人間と人間の真剣勝負だからこそ起こるドラマに期待しているのように、文章だって生身の人間が書くからこそ面白いのだ。




さて、なかにはでセンセーショナルな人間性を処女作でぶっ放してくる一握りの天才もいるが、僕らのような凡才は一歩一歩自分のことを知ってもらうしかない。


その上で格好悪い人間になってはいけない。


格好悪い奴の話なんて誰も聞いてくれないし、つまらない人間はつまらないものしか作れないのだ。


僕の言う「文章力=生命力」の肝はここにある。


説得力のある文章を書きたければ、文章の中に閉じこもるだけではなく、人間として重みのある日々を過ごさねばならない。


ここで華麗なるタイトル回収、オシャレして街に出よう。


ファッションを勉強すると、人にどう見られているかを把握する能力が着実に身についていくし、その力は見てくれ以外で格好良いと思われることにも活きてくる。


ひょっとして難しい言葉もある種のオシャレなのかもしれないが、使う人間の魅力が伴っていなければ、それはファッションで言う「服に着られている」現象なのかもしれない。


酒を飲んでも良いし、タバコを吸ってもいいし、道端で酔いつぶれても良い、本気で遊ぶこと。


街には誘惑で溢れかえっているが、たまには全てに負けてみることも必要だ。




さて、冒頭の官能小説には計八個の慣用句が含まれていて、そのどれもが辞典的に間違った使い方をされている。


それでもなんとなく読めてしまうのだから、言葉の意味なんて初めはフィーリングで当てはめてみるくらいでもいいのかもしれない。


本当の意味が気になる人は国語辞典で調べてみよう。


ちなみに、簡単に書き直してみた。




・・・ぎゅっ。


しこしこ。しこしこ。ああっ。ああっ。


がくがく。どぴゅっ。はあ。ふう。


じゅるじゅるり。ぺーっ。くしゃっ。ぽいっ。




ほら、ちびっこでも読めるようになったでしょう?