三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

すべての元凶




もう大人になって、かなりの月日が経った。


ハタチになったあの日。


友達と山盛りの焼きウインナーを喰らい尽くし、胸焼け冷めやらぬなか満貫放銃を連発し、罰ゲーム用のジムビームで食道に追い打ちをかけた。


酩酊状態の最中、これが大人のやることだろうかとふと我に返った。


それから帰りに寄ったコンビニのお姉さんを訳もなく睨みつけ、その十分後に死んだように眠りに就いた。


選曲した記憶はないのだが、起きてからスマホを見ると『ビタースウィート・サンバ』が一曲リピートになっていた。


思い出して、またムカついた。


記憶容量を割くことすら勿体ないほどのどうしようもない思い出。


しかし未来への漠然とした希望があるうちは、このエピソードだって成功者の前日譚として心の隅で淡い輝きを放ち続ける。


未来への漠然とした希望があるうちは。





「トリミングも順調に上手くなってるし、このままいけば普通に成功を収められるだろう」


僕が数年前にはじき出した計算の結論だ。


この計算の通り、一流トリマーに必要な素質を表す五角形のチャートがあるならば、五角形が日に日に膨らんでいる感覚は確かにある。


だがこれほどまでにハタチを越えてからの時間が早く進むとは夢にも思わなかった。


全身の毛がよだつ。


このペースだったら全然追いつかない。


あと十年弱ほどで成功を収められれば良いと考えていたが、その十年弱はなんだかんだで二年くらいではないか?


かつての漠然とした希望が、色を黒くしながら輪郭をくっきりさせはじめた。


時間が無い。


二十歳からの一年と、二十一歳からの一年はもう僕の手元には無い。


俺は本当にこのままでいいのか?





僕の良くないところは、このままでは駄目だと断言することができないことだ。


この一年を振り返ってみると一年前の自分では想像もつかなかったことばかりで、この不安定さが心地良くて仕方がない。


沢山の悪い人と出会って、沢山の悪事を働いてやった。


側から見れば破滅以外の何物でもない。


それは僕からすれば真っ白い模造紙に鮮やかなペンキをぶちまけるような爽快な日々でしかなくて、思わず布団に入る時に豪快な笑い声を上げそうになる。


政治家精神を持つ人と犯罪者精神を持つ人がいると思うが、僕の心の多くを占めるのはかなり純度の高い犯罪者精神であるように思う。


常に見えない敵と戦っている健気な自分が愛おしくて仕方ないのだが、人が同じように僕を愛してくれるのかについては巨大な疑問符が付く。


その逆風を跳ね返す生命力が僕にはないので、さてどうしようか。





三軍の星の元に生まれてしまったことに薄々感づいてはいたが、それがようやく確信に変わりつつある。


大人数で話している時に僕の話題になることはほとんどないし、なにかを成したところで人は評価も批判もしてくれない。


自分語りを周りが楽しく聞いてくれる環境が備わっている人は一軍だろう。


僕はというと、毛穴の一つ一つから滲み出る緊張感が他人を寄せ付けず、誰からも愛を受け取れずじまい。


人間不信とは形容したくないが、この病的ななにか、思春期以降に耳にした数々の汚い言葉の矛先がいつ僕に向くのかという終わりのない恐怖。


それを覚えてからというもの、自分の急所を見せずに、一定の距離を保ち、言葉の裏の裏の裏の裏まで読むようになってしまう。


結果として誰の懐にも入れず、何人も懐に入れようとしない。


「三軍病」とでも呼ぼうか。





僕は中高で、一軍グループの腰巾着と三軍グループのリーダーの両方を経験した。


どっちも一抹の切なさがあるのは間違いないのだが、社会に出て困るのは間違いなく後者だと思う。


この人はいまどういう感情を持っているのだろうと常に推理し続け、それを元に言動を選択することがどれだけ大切なことか。


突然周りがイエスマンでなくなることと、聞くスキルが身につかないまま大人になってしまうこと。


早急にこれらへの対処を強いられる三軍グループのリーダーは過酷だろう。


僕はそれの更に上を行く。


対一軍・対三軍に関わらず、全ての人間関係を騙し騙し築き上げてきたからだ。


過去に形成した人間関係の異常を、次に新しく発見してしまうのはいつだろうか?


そう考えるだけでとても苦々しい。





なにか批判される事をしでかす奴。


それを発見して批判する奴。


それに便乗し、さらに一般化して対象の同族全員を批判する奴。


この一連の悲劇には、もうほとほと愛想が尽きた。


これらを乗り越えてまで皆が欲しがる愛って、一体どれだけキラキラしたものなのか?


暇潰しや時間稼ぎではない愛なんて、地上に存在するのか?


親からは人並みに愛情を注いでもらったが、赤の他人からの愛はまた違うものだろう。


その狭義の愛がどんなものかなんて僕には見当もつかない。


見つめ合うだけで相手と分かり合えるならこんな辛い思いをしなくて済むのに。


そうならないなら全て吹き飛んでしまえ。


本当のことだけ喋って生きろ・・・。







というわけで、オナ禁を始めることにした。


内憂外患、すべてお前のせいだ。


前だけを見て、どこまでもオナ禁の魔道を突っ走ってやる。


↓日記をつけるので応援してください。
@onakindynamite




微笑みを湛えながら優しく見守るも良し。


オカズ画像をリプで送りつけるも良し。


何日続くかギャンブルの対象にするも良し。


せっかくフォローしてもらえるならあなたにも楽しんでもらいたい。


宜しくお願いします。





美人泌尿器科医が教える本当に気持ち良い下ネタツイートのパターン5選



①飛躍


ロシア大使館の偉い人に顔射されたんだけど『顔が平たくてかけやすい!』って感動された。お土産に電動マトリョーシカもくれた」


「童貞を殺すセーター着てる高嶺の花より、バカボンみたいな服着ててもおはようの代わりにキンタマ揉んでくれる女の子の方が僕は好き」




②あるある


「オナニーって1回目はふう…で2回目ははあ…で3回目はひい…だよね」


「この女優パンツ脱ぐの一瞬すぎてテキーラのショット飲んでんのかと思った」




③言葉遊び


「先生は大人だからやっぱりちんこでかいの?いやいや、キミのちんこに毛が生えた程度だよ」


「昨日の女の子、フェラが激ウマで舌が二枚あるようだった。でエッチが終わった後に「実はわたし処女なの!」って言ってた」




④文学


「隣の部屋から届いた「どうなってんだー!」という絶叫で目を覚ます。ふと下半身に目をやるとパンツが斜陽を反射して綺麗だ。それならば窓の外はどれだけ幸せに満ちているのだろう。頭が少し痛い。空の色は誰の為にある。」


「野良犬が昭和のアダルト雑誌を咥え全力で西へ走り去っていった…」




⑤演劇


「ウソだろ…!!!オイ……!!!オイ……!!!!!処女がどれでも980円なのかよ…!!!!!!」


「あああああああ!!!!!垂れてる!!!!!精液垂れてる!!!!!婚姻届!!!!!婚姻届が真っ白になってる!!!!!」





世に蔓延する不幸をハサミで整える仕事




久しぶりにこのブログを開いたが、まず驚いたのは「昔の俺、どんだけ書くことあったんよ」ということだ。


そういえば高校時代の友達と話してて気づいたのだが、方言で喋ると一人称が「俺」になるらしい。


僕は「僕」を標準語だと思っているふしがある。


というか僕って、アレックス英智って名前だったんだなあ。


よくそんなクソダサハンドルネームで斜に構えまくった文章を書けたな。


でも吉本ばななもふざけた名前に似合わぬ繊細な文章を書くし、キラキラネームなんか付けなくても愛を以って子育てすれば自ずと人は輝くはず、たぶん人間ってそういうものだ。




さて、僕を心配してDMやらを送ってくれたファンの皆様へ。


返信できなくてごめんなさい。


じゃあ謝ったところでファンサービスします。


近況報告です。


一言で言うと、夢に向かって頑張っている。


うわーお前アレックスのくせに夢に向かって頑張ってんのかよ!


人の夢を笑うな。


僕はなににつけても飽きやすい性格だが、小学校高学年頃、お化けのように枕元に現れた夢を未だに持ち続けている。


辛く厳しい現実に晒されて高校時代に一度捨てた夢が、大学一年生の冬くらいに再燃した。


ここでは身バレが怖いのとストレートに夢の話をするのはちょっと恥ずかしいので、仮に夢を「トリマー」とする。


本当にトリマーになりたい人を馬鹿にする意図はないのであしからず。




5月中旬、自分にとってショックな出来事があった。


僕の中では現在進行形なんだけれども。


それを引きずりながらしばらく大気に漂うように生きていたのだが、なにかに没頭すればその間だけはその痛みを忘れられることに気がついた。


いずれ実現させるつもりでいた未来予想図の予定を、全て前倒しすることに決めた。


まず、6月に開いた無料トリミングイベント。


とにかく自分がどれくらい犬を可愛く刈り上げられるのか、良くも悪くも現段階でのレベルを飼い主達に知ってほしかった。


まだ僕が駆け出しのトリマーであることも飼い主達は承知の上だったので、皆温かくトリミングを見守ってくれた。


当時の僕はこれを受け入れられなかった。


そんな生半可な反応ならトリミング中の愛犬を強奪して帰ってほしかった。


はじめてのおつかいを視聴しているかのような視線が耐えられなかった。




それでも好評であったのは事実で「また刈ってください」と口々に言われたものだから、無料トリミングイベントは二回目も開催される運びとなった。


それから今月で五回目になるが、最近では自分に鞭を打つために開いている。


僕は自分のちんこについたティッシュの切れ端にも気づかぬような怠惰な男なので、こうでもしなきゃ努力できない。


僕は僕を必要としていなくて、誰かに必要とされるような環境がなければ奔走できないのだ。




それから9月に東京へ行き、ベストトリマーオブザイヤーに出場した。


僕は必ずこの大会で爪痕を残すと決意し、両目ギンギンで新幹線の切符を買った。


しかしいざ出てみると、途中までは良かったものの仕上げの段階でまさかのチワワ大出血。


ハサミが突然ナイフに変わった。


思っていたよりも全然だめだった。


多分トリミングを少し舐めていた。


そりゃ一流のトリマーだって確率は低かろうがミスる可能性を各々持ち合わせているわけで、それを常に成功させる強運のトリマーに憧れてこの世界に入ったんだ。


常にサイコロで6を出し続けて日本一のトリマーになるという自分への淡い期待が、それよりも遥か手前の段階で霧のように消えてしまった。


こんな勝負弱いトリマーになるつもりはなかった。




その日の夜は、自分史上最大の自己嫌悪に陥った。


Twitterで「みなさん久しぶり。死にます。ドルマゲス」と残して自殺しようかなとも考えたが、僕は有言不実行で周りに心配をかける人間が大嫌いなので、そこだけはなけなしのプライドがなんとか持ちこたえてくれた。


でもそれくらい本当に消えてなくなりたくて、切ない感情を一緒に支えてくれる人もおらず、ただただ絶望の淵に立って暗闇に涙を落としていた。


死にたいというか「お前のトリミング、誰も必要としてないよ」と言われた気がして、もう既に僕は死んでいるのではないかと思った。


僕の最後の砦であるトリミングの腕で負けるって、死ぬ感じがする。


気づくとセブンスターが二箱空になっていて、漫喫での僕のブースだけ濃霧に包まれていた。




いつの間にか眠りに落ちていた。


あれ、泣いたんだっけ、泣かなかったんだっけ。


思ったより穏やかな心持ちでびっくりした。


ちょうど小雨くらい。


またみどりの窓口で見た炎天下の心を取り戻せるだろうか。


なにか変わらなければいけない。


なにか変わらなければいけない。


気づくと僕は巣鴨のソープへと駆け込んでいた。


先輩のトリマーから「お前は自信がないんだよ。たぶんモテてないから。だから毛並みの切り口にもそれが現れてんだよ」と言われたのを思い出したのだ。


それを聞いたときは生意気にも「あっコイツ、自分がモテるからって都合の良いように価値観捻じ曲げたな?」と思ったものだが、最初に思い出せたToDoリストの項目がそれだったのだ。


一つ言っておくと僕は数年前に近所の学習塾のボイラー室で女の子から本免許を賜っているので、別に初めてじゃねえんだからよお〜♪と鼻歌歌って余裕かましながらそのソープの前を30往復くらいした。


頑張れ自分、すべてがトリミングの力になるぞ。


そりゃ気持ち良かったけれど、2万円分のなにかを得たかと言われると疑問符だった。


吹っ切れた感覚はあったが、その卑小なポジティブに値段をつけるならば3500円くらいだろうか。


しかし、ここが僕の空母であるようには感じた。


ここ、すなわちおぱんぽん


燃料が満タンになったと自分に言い聞かせてとにかく飛び続ける、たぶん健康に生き続けられる道はそれしかなかった。


そういえば、ベッドの上のタオルやらが入っている棚に頭をぶつけて建てつけを悪くしてしまったが、笑顔で「ナイスヘディング♪」と言ってくれたあの人はかなり頭が切れる。


きっとどの世界でもそれなりに良い仕事をしただろう。




それから10月初頭、僕は小さいトリミングコンテストで賞をもらった。


久しぶりの、生きててもいいですよ免許。


去年また違う大会で賞を獲った時は数時間後の打ち上げでずっとさめざめ泣いていたものだが、今回はニヤつける余裕があった。


傷ついた男は強くなるというが、僕は図らずもそれを体現してしまった。


ただ強くなるという表現は少し間違いで、手の届きそうな距離に浮かぶ幻想の多くを諦めた結果、自己防衛が上手くなったというのが正しいだろうか。


副作用として、喜びも半減してるんですけどね。


それから新聞にも載ったし、テレビにも出た。


少しずつではあるが、どうすればよりワンちゃんを可愛くできるかもわかってきた気がする。


ああまた、自分に期待しそうになってしまう。


いずれ必ず来る反動に備えてみぞおちに力が入ってしまうが、その浮き沈みの激しさを客観視するとこの上なく愉快で爽快なのだ。


きっとあの日無料トリミングイベントに来て僕に優しく微笑みかけた飼い主らも同じことを思っていたのだろうと最近ようやく気づく。


彼らは僕がトリミングした犬を透かした先にある僕の若々しい精神世界を覗いていたのだ。




茶髪にしたからか、スマホカバーを3980円のお洒落なのに変えたからか、トリミング自体の調子がいいからなのか、東京へ行った日の夜に和民で無農薬君に「翔さんかよ」と言われたシルバーアクセをつけているおかげなのか、原因は分からないがじわじわとモテるようになった。


ひょっとすると数々の自己諦念が男の色気に昇華したのかもしれない。


こないだJKとJDに一回ずつ告白されて胸がはち切れそうだったが、丁重にお断りした。


JKといっても、条例に触れないJKね。


彼女は僕に断られると静かに泣き始めた。


かつての自分と重ね合わせて思わずアメスピを差し出しそうになる。


ポケットに手を戻しながら「いや俺彼女が欲しいわけじゃないんよね…ごめん」と言った。


「怒涛の苦しみの連打を浴びてきた僕こそ未然に防げる苦しみは潰しておく義務あるよな」とか「僕にもちょっとつまみ食いする権利くらいはあるはずだよな」とか「今日のメイク高梨沙羅に似てるな」などなど。


それらすべてをサガミオリジナルもビックリのおよそ0.005秒で脳内天秤に載せた結果、「断る」側に針が振れた。


こういう緊迫した場面だと変に頭の回転が早くなるので、迷うそぶりもなく即決したように見えただろう。


本当に真剣に悩んだし、というかその「断ると静かに泣く」を勘定に入れてなかったよ。


久しぶりにチヤホヤされた喜びとか、希望に満ちたJKを泣かせた罪悪感とかで、心の中がぐちゃぐちゃになって吐きそうだった。


でも僕も僕なりに叶えたい事があるのだから、どうか爆サイで僕をコテンパンに叩くくらいで許してほしい。


僕もあなたもこの結末が正しいと信じて生きるしかないとは思うが、とにかく申し訳ないことをした。


あれ?僕はいつから女の子を振る側の天上人になったんだ?


人間は自分が何軍かわきまえて生きなきゃ破滅するぞ?


もうしてんのか?




とまあいろいろあったけれど、僕は一流のトリマーになるために日々もがき苦しんでいる。


僕はまだまだ三流。


でも君らが思っているほど僕はバカじゃないよ。


誰かに必要とされるために身体と心を削って生きてんだよ。


とにかく件のJKに刺されでもしない限りしばらくは死なないと思うので、皆様の心のどこかで日本一のトリマーになる夢を応援して下されば、これに優る喜びはございません。




ここまで書いたところでテレビ横の「100万円 溜・ま・る BANK」と印字された貯金箱が目に入った。


少し前から500円貯金を始めて、少しずつ重みが増してきた。


貯金箱の裏にはマジックで「結婚資金」と書いてある。


これ僕なりのロマンチック。


あー好きな人と結婚してえ。


やっぱそうだな。


好きな人と結婚。


これくらいかな、僕が僕の人生に望む事は。




いろんなトリマーがいると思うが、僕は「いま幸せですか?」と聞かれたら「すっごく幸せです!」みたいなテンションで「すっごく不幸です!」って答えると思う。


自分が幸せでなければ人を幸せにすることはできないという言葉を聞いた事があるが、そういう奴は同情抜きで不幸な人の心に寄り添えるのだろうか?


幸せな奴はそのまま幸せでいて欲しいと思うが、不幸な人間だって幸せを生み出せるということだけは知っていて欲しい。


世の中の事柄に限らず自分のことですらよく分からないのだが、死ぬまでに一匹でも多くのワンちゃんを可愛くしたいという僕の志は嘘偽りのないものだと思う。


毛並みの汚いワンちゃんがいましたら、ぜひ僕のところまで。


ではまた。






胸が痛い



その痛みは誰の為にある。


何かを守る代償として自分が傷つくのなら、その傷はやがて自己実現という名のかさぶたで塞がることだろう。


一方僕の傷はいつまでたってもジュクジュクなままで、空気に触れるたびに沁みてひどく辛い。


辛くて辛くて、本当に辛くて、一日が70時間くらいあるように感じられるのだ。




この痛みの原因となる感情を成分分析してみると、怒りが半分を占めていた。


この怒りは非常にたちが悪く、本来であれば対象に憤りの水風船をぶつけてやればそれでおしまいなのだが、肝心の対象が見つからぬまま。


誰もいない空間で一人、大きな水風船を抱えて立ち尽くしている僕の怒りはどんどんぬるくなっていく。


いつ風船に水が注がれるのか分からないという、自分の怒りに対して自分が怯えるのは初めての経験である。




それから悲しみが三割ほど。


怒りとは対照的に、この悲しみは自分を焼き尽くすほどの火力を持ち合わせているようだ。


これほどまでに燃え滾る悲しみを味わったことがないので、悲しみという表現が正しいかについては自信がない。


最近鏡を見ると酷い顔をしているのは、この悲しみのせいで顔面の皮膚が焼き爛れてしまったからではないかと考えているのだ。




残りの二割はかなり散逸していて、いま持ち合わせている語彙からその二割の最たる部分を占める感情を無理やり形容するならば、近い言葉は「浮遊」だろうか。


数時間に一度は必ずみぞおちに力が入る瞬間がやってきて、そのたびに空に浮かんでいるような気分になる。


その数秒後には地面に叩きつけられてしまうのでその度に浮かばなければ良かったと思ってしまうのだが、よく考えてみると自分で浮かびたくて浮かんだわけではないのだ。


後悔後に立たず、という言葉を当てはめておく。




十年ほど前から、帰納と演繹を繰り返す工程の中で自分から感情を遠ざけながら濾すという、見晴らしの良い塔の螺旋階段を登るように感情を制御する手法を採用している。


だがそれは状況把握がうまくいかなければ途端に感情がカオスへと突き進んでしまう欠陥を孕んでいる、これは最近になってようやく気づいたことだ。


おかげで僕の心の中ではマーブル色の竜巻があちらこちらで猛威を振るっており、インフラの復旧はどうも破壊の順調さに追いつきそうもない。




ここでまず、Twitterからひっそりと離れた僕を心配して私信を送ってくれた数名のフォロワー各位へ。


本当にありがとう。僕は元気ではないが心配しないように。


次に、私信こそ送らないものの数秒でも僕のことを考えてくれた0〜若干名のフォロワー各位へ。


わざわざありがとう。僕は元気なので心配しないように。


そして、僕のことなんて頭の片隅にもなかったという数百人のフォロワー各位へ。


君のTwitterのやり方は正しい。ただしフォローは外さないように。




Twitter引退宣言はしないが、しばらくツイートすることはないだろう。


促されるまでもなく、ツイートしたくなったらする。


だがいまTwitterをやると「ぎゃああああああああ」「んああああああああああ」といったツイートを五分おきくらいのハイペースで晒してしまうことになる。


心を緊密に連携させて文字を削り出すことを自分に課しているからだ。


いずれそそくさと戻ってくるだろうから勝手に過労死したことにしないように。




ああ、なんにせよ、僕はずっと胸が痛い。


暗闇の中で針山に囲まれた平均台の上を歩き続ける日々が続いている。


何度足を踏み外して巨大な針に胸を突き抜かれたかはもう数え切れないので、大きな一回とすることにした。


ただこの痛みをひん曲げてこね回して正当化して、悲劇のヒーローぶっている臆病な自分がこの上なく嫌いだ。


そこで僕が僕を嫌いになったら、いったい誰が僕に愛を注ぐのかという懸念が生まれてくるのは、嫌悪の宿主が僕であるから当然のことであろう。


いままでその嗅覚と体系で他者を制してきたのだから。




愛がなくても生きていけるような強い男に自分を育てた覚えはない。


その弱さを誇りながら温かく生きられる存在が大人であるならば、僕はどうやって大人になればいいと言うのだ。


きっとこの反抗心を心の奥で大事に撫でる日々が続く限り、いつまでも僕はこのパラドックスの輪から飛び降りる勇気を持てないでいるのだろう。




救いなどという有るのか無いのかもわからないものにすがりながら意気揚々ともがけるほど、状況は好ましくない。


それならば、どん底どん底まで素直に落ちてみようかと考えている。


そしてその穴がなんの変哲もないただの穴であることを証明したいと思う。


そこで自分をまた一から作り直しても遅くはないはずだ。


底に到達するまで、時間がかからなければ助かるんだけどなあ。


あーあ、幸せになれるものならなってみろよ。






狼狽と五千兆円〜前編〜





かくして俺は五千兆円を手に入れた。


即死を覚悟していたが、確かに呼吸は続いている。


そのままであれば七十四歳までは生き永らえていたということだ。


六十代半ばくらいに肺がんでぽっくりだろうと踏んでいたが、こればかりは分からないものだ。


これから五十年も地面すれすれの低空飛行を続けていたのだろうか。


それともどこかで運命の出会いが訪れ、子ども、果ては孫なんかまでいたりするのだろうか。


いやいや、答え合わせのない問いに唸っていても仕方がないことだ。




生まれて初めて、悪魔の声を聞いた。


前に持っていた漠然とした悪魔観とは違う、穏やかで少し丸みを帯びた声質だった。


奴は自分が何者なのかは名乗らなかったが、俺が交わしたものは、世間一般に言う悪魔の契約だ。


自分語りを一切せず、契約上必要な事項しか口にしなかったので分からないが、存外悪い奴ではないと思う。


ただ時折返事が遅れることがあったのが気がかりではあるが。




そうか、全てを手に入れてしまったのか。


早速ピザ屋に電話し、シーフードピザのLに追加でエビのトッピング、コーラを三本注文した。


電話の切り際に急ぎでと付け加えたので、小走りでピザ屋がやってきた。


店員は代金を宣言したはずだがいくらかは覚えていない。


高くて時給九百円の奴には触らせるのもおこがましいが、赤い文字で『5000兆円』と仰々しく書かれている薄鼠色のカードを差し出した。


ピザを開けると、注文通りふんだんにエビが載せられていた。


金さえあれば、こんな小さなエビを殺すことくらい造作もないことだ。




ピザの減る速度が緩んできた頃に、ふと積み上げられた段ボールの傍らで佇むエレキギターが目に入った。


兄に近づかなければという一心でここまで頑張ってきたが、果たしてこいつは今の俺に必要だろうか。


この世界にも色々な奴がいた。


才能を掘り起こすことに費やす日々を、夢を追えるだけで既に不幸はないと捉える奴もいたし、楽しいとか楽しくないとか評価する暇も無いくらい音楽にのめり込んでいると言う奴もいた。


俺は、これを苦と捉えた。


ついに兄を越えてしまった。


気づくと俺は部屋を飛び出し、そいつを掴んで車止めのブロックに叩きつけていた。


いくら音づかいが洒落ていたって、五千兆円は到底稼げないだろう。


俺だって兄や彼らと同じように人生を賭して五千兆円を手に入れたんだ。


有るのか無いのかも分からない、あやふやなものに捧げられるほど俺の人生は安くないのだ。







ぜんぶ円高のせいだ





バイトめっちゃやってる。


僕は色々あるコンビニ業務の中でもレジ打ちが一番楽しいと思う。


自分が思っているよりも人間が好きなのかもしれない。


逆に楽しくないのは品出し。


棚に足りないカップラーメンを補充するの、なにがオモロイねん。


その中でも楽しみを見つけるのがバイトを長続きさせる秘訣。


僕の場合は、その商品を出すスペースが既に埋まっているのを見つけると、「すいやせん!ウチではこの商品、取り扱ってないっすねー!」とつぶやくことだ。


新しい楽しみを見つけなければ来週あたりには持たなくなっているだろう。




僕は失恋ソングが嫌いだ。


三年前の失恋に思いを馳せるような曲なら良いのだが、いまフラれましたみたいな曲が嫌い。


全然共感できません。


いまフラれたのにその気持ちを歌詞にして曲に乗せてしっとりと歌い上げちゃって、お前余裕だなって思っちゃう。


本当にフラれてすぐに曲を作るとメタル調で「ウボアアアアアアア!!!死にてええええええええ!!!FUCK!!!!!」みたいな曲になるはずなのだが。




最近、木綿のハンカチーフヘビーローテーションしている。


椎名林檎松崎ナオのデュエットバージョン。


これもれっきとした失恋ソングなのだが、男女が書いた文面をそのまま歌詞にしたという体を取っているのでそのへんの臭みはまったくない。


そりゃ歌舞伎町のネオンとナオンを見れば目が眩む。


元々は1975年にリリースされた曲なのだが、40年ほど経った今でも強く共感できる。


3年ほど四国の女と遠距離恋愛して別れた男を知っているが、毎晩のようにビデオ通話していたのにその愛が醒めてしまったらしい。


文明の利器をフル活用してそれなのだから、40年前の遠距離恋愛なんか難しいに決まっている。


それでも男を否定しないこの女の子の慎ましさにだけは昭和を感じる。


今の時代ならば高速バスで東京へひとっ飛びで、男が八つ裂きにされているだろう。


しかしこれは男が悪いのではなく、東京が悪いのだ。




そういえばこれ、僕が最近よく使うテクニック。


なにかを嫌いになりそうな時、それよりもさらに大きいものに罪をなすりつける。


だいたいは、円高のせいにできる。


円高を憎んで人を憎まず。


なにかを嫌いになるというのはそれだけで甚大なエネルギーを使う。


無駄なエネルギーは使わずに、やらなきゃいけないことを一生懸命頑張ろうよ。


お仕事、勉強、力を合わせて円高を跳ね返そう。






良い匂いの女と結婚しろ




最近、ブログを書けていない。


これはなんでかというと、バイトのせいだ。


一日の総まとめとして23時前くらいから書き始めるのが僕のサイクルだったわけだけど、今はその時間、夜勤夜勤夜勤。


ただオーナーは本当にいい人で、本来休憩のないシフトでも休憩させてくれたりするので、僕もなんとかその思いやりに応えてあげたい。


すごくちっちゃい御恩と奉公。


昔からなんでかわかんないけど僕は年寄りにモテるんだよね。


書くことがなければ書かない、それくらい居直ってやっていこう。


ゆるゆるおまんこブログ。




じゃあ一つだけ。


この世で一番かっこいい人は、死を恐れない人。


恐れないというか、死という概念を持ち合わせていないか、その概念が吹けば飛ぶくらいのペラペラなものであれば理想的だ。


死臭くない人。


Twitterで死にたがってる人をよく見かけるが、彼らくらいずっと死について考えて考えて、死という概念が重すぎて押しつぶされそうになっている人、残念ながらダサい。


いつ死んでいいと思っている自殺志願者と、いつ死んでいいと思っている人生の浮浪者、一見同じように見えるが彼らは対局に位置する存在で、北極の氷と南極の氷みたいなものだろうか。


死を感動のフィナーレだとか集大成ではなく、なんなら通過点くらいの気持ちで臨めるならばそれが最高にクールだ。


僕の子どもは只者じゃないぞ。