三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

僕の近況報告はずっとクライマックス




四年前から僕の趣味はTwitterだった。そして、その時から僕のTwitterでのスタンスは一切変わらない。自分が言いたいことなどほとんどなくて、いつだってフォロワーがどう思うかだけを考えてきた。フォロワーが百人ほどしかいなかった頃は傍若無人にウケることだけを考えてきたが、最近ではツイートボタンを押すときに数々のフォロワーの顔がストロボの閃光のように浮かんでしまう。全員がなんの引っかかりもなく笑えるようなツイートなどまず思いつかない。あれだけ渇望していたエンゲージメント総数の増加につれて、僕に繋がれる鉄球がおびただしい数になる。ただフォロワーを手放す恐怖だけに苛まれ、毎朝ツイートを考える時間がとても苦々しいものになった。


しかし、ここにきて四年間ではじめて、ウケなくても良いから皆に知ってほしいと思える話が僕の中で膨らんできてしまった。言葉足らずに陥りたくはないし、わざわざブログを読みに来てくれる人であれば僕のことをよく思ってくれている人しかいないだろうから、ここで僕の近況報告を行いたいと思う。




二十二歳の僕は、転がる石の角が取れてというやつなのか、性別を問わず対人関係が温もりを帯びるようになった。今までの人生で一番多くセックスをした一年になったが、それと同時にじわじわと絶望に襲われてしまう。あの憧れのセックスが全然楽しくないのだ。見向きもされなかった女性という人種に相手にされている安心感はあるものの、そのセックスという行為そのものに面白味も風情も見出せない。相手も自分も傷つけまいと、断片的な興奮をカルピスのように希釈して味わってきたが、恋愛をしているふりをするのも耐えられなくなってきた。そしてそれは強力なコンプレックスへと変わっていく。誰もが認める最高の娯楽を満足に楽しめない僕にはなにが足りない。




追懐と思惟を繰り返す中で、乳首の開発に着手した日があった。三日坊主上等の軽い覚悟で始めたことだったが、その顛末は前に書いた通りで、これほどまでに没入したのは誰でもない僕が一番驚かされた。そしてこれがきっかけとなり、続けて前立腺の開発を始める。人生初エネマグラの歴史的瞬間をフォロワーと共有しないのはもったいないと、その様子をキャスで中継した。誰に脅迫されたわけでもないのに、お尻に異物を入れながら体力が完全に尽きるまで数時間泣き喚くサイコパス配信を世に出してしまったのだ。明くる朝、目覚めてすぐにそのアーカイブを視聴した。戦慄を含みつつ、でも、なんとなく数時間前の自分の声は魅惑的で、とても幸せそうに聞こえた。そして、そう思ったのは僕だけではなかった。


そのキャスをたまたま終始聴いていた女性がいた。それだけではなく、エネマグラに苦悶する僕を手放しで称賛してくれた。彼女はいわゆるドMであり、聞けば彼女はSM趣味を持つ者で構成されたコミュニティに属しているらしく、それを機にコラボキャスにて数々の未知の性癖を教えられた。そして、初めて聞かされているのが嘘のように、すべてが僕の心にじーんと染み込んでくる。たしかに僕はどちらかといえばMだという自覚はあったものの、ここまでの素質があるとは全く気づかなかった。重く垂れ込めていた雲の切れ間から光が差し込むように、自分の知らない自分と出会った。そうだ。僕もドMだったんだ。


そして、その胸騒ぎはダイレクトに相手に伝わったようだった。会話は軽快に展開し、件の界隈から加虐嗜好を持つ女性を紹介してもらえることになった。
「アレックス君のいじめられたいレベルと、彼女のいじめたいレベル、だいぶ近いと思う」
僕はそれを聞き、上空から垂れてきた蜘蛛の糸を離してはなるまいと、
「繋げてください…!」
とお願いした。


キャスが切れ、向こうからの連絡をじっと待つ。その時にかつて『日村がゆく』という番組でとある女王様とその下僕が出演していた時の光景をふと思い出していた。その下僕はそれがお好みなのだろうが、その女王様は言葉遣いも振る舞いもとても粗雑で、どうも憧れを持つには至らなかった。僕の中でSな女性といえばずっとそのイメージだったが、結果的にそれは見当違いであった。




iPhoneの通知音が鳴る。見覚えのないユーザーからのDMが届いたことを知り、急いでTwitterを開く。
「こんばんは。〇〇さんの紹介で伺い、フォローさせて頂きました。よろしくお願いします。」
丁寧だ。まるでビジネスメールのような、予想していたよりも遥かに丁寧な文体。それが第一印象だった。すぐにその堅めの調子で互いの性癖の話になる。案外と直接女性に性癖を曝け出した経験に乏しく、恐る恐るされたいことを正直に述べる僕。すると、一切引くことなく全てを優しく受け入れてくれる彼女。行き交いは緩やかではあるものの、その言葉の一つ一つが心地良い。メッセージが積み重なっていくにつれ、まだやわらかかった自分の性癖が次第に強固なものになっていった。


それからskypeで通話することになった。恐る恐る話し始めると、ほのかな優しさを帯びつつ、やや昏い女性が挨拶を返してくれた。いくつかの世間話の後、僕がされたいことを述べ、相手はそれをしたいかを訊くという一問一答の答え合わせのようなやりとりを繰り返した。互いの性癖が合致するたび、荒野を疾走する両輪になったようでこの上ない爽快感を覚える。気づけば僕の感情は"女性にいじめられたい"というものから"この人にいじめられたい"という方向へシフトしていった。SMという世界に産み落とされた僕が初めて巡り会った人。そのインプリンティングは恐ろしく鮮烈だった。帰巣本能に近い衝動に突き動かされた僕は、年末の東京遠征の旅程をこじ開け、そこに僕と会ってもらう約束をこぎつけた。十二月三十日。この鬱屈とした性生活に必ず蹴りをつける。




この日僕は仕事が長引き、予定よりも待ち合わせに遅れてしまう。普段ほとんど使わないタクシーを走らせ息急き切って約束の改札へ向かうと、灰色のチェスターコートを着た長身の女性が僕に向かって笑顔で手を振ってくれた。会ってまずなにを話したかは一つも覚えていないが、とにかく僕が冗談を言うたびに明るく笑ってくれる。その笑顔を見るたびに人違いではないのかと錯乱しそうになる。skypeで話した、あの陰影を帯びた女性がどこにもいない。僕をいじめたいと言ってくれたのは本当にこの人なのだろうか、と卑小な猜疑心がよぎる。そして、前々からよく公言しているが、僕はよく笑う女性が好きだ。笑顔を向けられるたびに恋愛感情が芽生えそうになって、そんな自分を懸命に抑え込む。いじめたい、いじめられたいの利害関係が一致したがために知り合った関係においてそれは重大なタブーであるような気がしてならなかった。


磯丸水産の一番隅の席で魚介を焼く男女。大陸の血が入った女性が乱暴に梅酒を運んでくる。僕が遅れたせいで、その日はどうあがいてもホテルに行けないことが確定してしまい、僕は少しだけ意気消沈していた。時は流れ、第一印象の話になった。そこで僕はなにを思ったか、言葉のあやで
「普通だな、って思いました」
と言ってしまう。言い切った瞬間に失言だ、と分かったが、嘘偽りなくそう感じていた。どんな危険な人が来るのかと身構えていたが、あまりに社会的な人で安堵してしまったというのが本意である。すると、それを挑発と捉えられたのか、そこから徐々に扇情的な言動が増えていった。かつて僕の性癖のほとんどを聞いた人の言葉は、ほろ酔い状態の僕を昂奮させるには十分すぎた。
「こんなにたくさん人がいるのに、興奮しちゃうんだね」
僕はもはや脳内麻薬に溺れそうだったが、同時に胸が痛くなった。こんな生殺し状態で別れなければいけないなんて。


二十二時過ぎ、新宿駅の東口で彼女を見送った。僕は改札に遠く引き裂かれ、灰色の彼女は大衆の波へとゆっくりと消えていった。


彼女がこの時点でどれくらいの熱を持っていてくれたのかはわからないが、僕はというと、次に会えるのはいつになるのかで頭がいっぱいだった。数日後、色々と考えが巡ったものの、野暮な駆け引きはやめようと間髪入れずに次回の約束を取り付けた。




月日は緩やかに流れ、一月十六日。僕らは新宿でソフトクリームを食べていた。おそらく良い牛乳を使っているのだろうが、机に置かれた紙袋の中のボンテージテープが目に入って、漫然と甘い、ということしかわからなかった。完食した二人は一筆書きのようにホテルへと吸い込まれてゆく。僕はきょう、ここでいじめられる。この人の手によって、僕は身も心も女の子のように、跡形もなく、めちゃくちゃにして、ください。







かくて僕はたくさんのものを奪われた。首を絞められて、お尻を引っ叩かれて、太ももを噛まれるのもそうだ。ラブホテルに入って相手のブラジャーひとつ見れないなんて経験もなければ、右耳より左耳のほうが感度がいいなんて知るべくもなかった。とにかく彼女のする事なす事すべてが僕に刺さる。僕は幸せになりすぎてしまった。目隠しをつけさせられていたのもあって視覚的な情報はほとんど残っていないが、身体がその悦びを鮮明に覚えている。今までセックスを境に愛や情が動く女性の気持ちがいまいち理解しきれなかったが、この時ようやくわかった。性癖よりももっと深い、人格の根底を司るような場所を力ずくで揺さぶられてしまった。いつ以来だろうか、久しぶりに人を好きになったような気がした。


その後に行った九州料理屋にて、隣のサラリーマンが発した、
「…それが自分の首絞めちゃってさぁー!」
という慣用句に反応しちゃうくらいに、さっきの衝撃を忘れられずひりひりになっていた。お喋りしながら思い出しているうち、反作用のように別れが近づく切なさに打ちひしがれて、気づけば僕は小さな抜け殻と化していた。
「よしよし…」
慰められながら、頰や太ももを撫でられる。そのたびにしんしんと寂しくなるのに、下半身が鋭く反応してしまう。めちゃくちゃにされた結果、僕は心と体のバランスが取れなくなってしまった。


僕は正直、この数時間、ずっとキスしてもらいたくて仕方がなかった。数日後、噛まれて内出血した太ももを撫でながらLINEでその事を告げると
「昨日はね、あえてしなかったの」
「次も会いたいなーって思って、一気に出しちゃうのはつまらないでしょ?」
完全に先回りされて、生殺与奪を握られた。僕はもう、この人には到底敵わないと思った。今まで無理をしていたのが馬鹿みたいだ。女性に負けるのってこんなに嬉しいことなんだ。




そして二月十六日、僕は一足遅くバレンタインチョコを貰った。ルージュ型ショコラである。


本当に口紅っぽく使えるのかと、試しに僕の唇に塗ってもらう。どんな感じになっているのか、自分のスマホの内側カメラで確認しようとした刹那、突然視界に彼女が飛び込んできて、そのまま唇を奪われてしまった。
「うん、甘いね」
ああ、好きだ。頭がちょっと、痛い。






そして今はというと、毎日連絡を取り合っていて、またしばらくしたら会いに行くし、僕は彼女に全幅の信頼を寄せている。しかし、二人を繋いでいるのは赤い糸ではなく、赤いボンテージテープだ。僕らは彼氏彼女ではない。だからといってセフレでもないし、主従関係を結んだわけでもない。このややふわふわしていてニュートラルな関係が現時点での僕にとって最適であるようにも思える。


人はみな、まだ名前がついていない概念をしばしば"変な"と形容する。例に漏れず、友人数人にこの話をしてみると皆もれなく、
「変な関係だな」
と言ってきた。ただ僕は、まだしばらくは、この幸せで変な関係を楽しませてほしいと心から願ってやまない。





コーヒーゼリーの話



たまには猥雑な話をやめて、穏やかに食べ物の記事でも書こうかと思う。




僕は恥ずかしながら、そのへんの女子大生よりよっぽど甘い物を好む。


洋の東西を問わず、さまざまな甘味から多幸感を享受してきた。


その中でも、口に入れた瞬間に思わず笑みがこぼれてしまうような、ひとつだけ別格のスイーツがある。


僕の大好物は、コーヒーゼリーである。




コーヒーゼリーは幸せを与えるだけではなく、もはや救いでもあった。


さほど自炊をしない僕の冷蔵庫のゼロ番には、いつもコーヒーゼリーが鎮座していた。


そのポーションから垂れるミルクのひとしずくが、僕にとっての蜘蛛の糸


辛く厳しい労働、裏目って叩かれて、心が卑小にしぼんだ夜を何度救ってもらったことか。


ミルクのせいかもしれないが、底知れぬ母性と包容力を、あの一杯から感じ取らずにはいられなかった。




さらに遡り、僕は小学生の頃に初めてコーヒーゼリーを食べた。


フタを開ける前に、側面のすき間からカップの中を覗いてみる。


一面の銀天の下、世界は深い深い蒼海を湛えている、小さな天文学者の妄想が浮かぶ。


ミルクをパキッと割って注ぐひと工程の胸の高鳴りを、今でも鮮明に覚えている。


瑞々しい静かな水面を小さく剥ぎ取り、透明なデザートスプーンで運ぶ、一口、そしてまた一口。


真冬の掛け布団のような、重く温かい甘さの中に、声を殺して待ち構えるアダルティなほろ苦さ・・・


おもむろに遠くへ、またずっと遠くへ没入していく。


ふと我に返ると、なすすべもなく舌を支配され、乳白色と栗皮色がマーブル状に溶け合うカップの底を、僕は恨めしそうに眺め続けていた。


苦いものを好きだと嘯くのがカッコいいことだと信じて疑わなかった僕は、とにかく必要以上に大人たちへ「コーヒーゼリーが好きだ」と伝え続けた。


その自己暗示か、ダンディズムへの陶酔か、僕はますますコーヒーゼリーが好きになって、そのコーヒーゼリーを好きな自分さえもすこし上手に愛せるようになっていった。




しかしながら、これほどの艶然と微笑む女性のごとき優しい食べ物に、世間はあまりスポットライトを当てようとしない。


思うに、世の中の人々は食べ物の評価基準を瞬間最大風速に置きすぎなのだと思う。


不味いものを口にした時の落胆と言ったら、よほどの美味いものでないと上書きできないはずだ。


そのリスクを顧みず、振り幅の大きい食べ物でギャンブルに挑むことほど恐ろしいものはない。


その点で言えば、コーヒーゼリーは安定感の権化であると言えよう。


暑かろうが寒かろうが、二週間続けて食べていようが、コーヒーゼリーが不味かった時なんて一度もなかったはずだ。




しかし、僕はどうも食に依存しすぎていた。


趣味もほとんどなくて、仲のいい女の子だって数えるほどで、心はいつもすこし貧しかった。


家にいると、美味しいものくらいでしか深い幸せを感じる瞬間がない。


甘やかしてくれるコーヒーゼリーに、そのまま脳を硬直させて甘えていただけなのだ。


三十代からは美味しいお店をたくさん知っている男がモテると言うが、それはきっと心の豊かさを表すひとつの指標なのだろうと悟る。


収入の多寡ももちろん関係あるが、それだけあちらこちらに飛び回れるというのは、間違いなく精神的空母を多く持っているからだろう。


僕はあまりにも子どもだった。


あれだけ大人になりたくて固執していた食べ物が、子どもの象徴へと豹変しつつある現実が恐ろしかった。


わかってんだよ。できないんだよ。


だから僕はコーヒーゼリーから自立できないままなんだって、そんなことは僕が一番よくわかってたんだ。




あれから僕は少しだけ大人になって、コーヒーゼリーはいつの間にか僕の冷蔵庫から姿を消した。


今では一番であるからこそ、頻繁に食べることはしなくなった。


たまにスーパーで買うことがあるが、辛い時にだけ、などという頓服のような食べ方はしない。


今では、土砂降りの小夜にだけ会うことを許される、深窓の令嬢を迎えに行くような感覚に近い。


そして僕はいまコーヒーゼリーを食べながらこの記事を書いている。




今ふと、コーヒーゼリーの一杯には人間の生き方が凝縮されているのかもしれないと思い始めた。


試しにありったけのミルクを掬ってやろうと、スプーンを動かしても上手くいかず、またすぐ下に零れ落ちてしまう。


考えてみれば、これこそが人生ではないだろうか。


いま満足な幸せが得られず、ほろ苦い日々が続いていたって、それは下に幸せが零れ落ちただけのことである。


またそのおかげで、未来でもすこしずつ幸せな思いをすることができる。


苦いだけじゃ、甘いだけじゃ、なにも面白くない。


幸せは途切れながらも続いていくのである。






【アレックスの乳首開発日記】第二章・才能開花編



乳首の開発を初めてから三日が経った。


痛みはほぼなくなっていたが、形容しがたい苦しみだけが残っている。


やはり神経の大都会にぶっ刺してるだけあって、左半身がざわつき、小さい竜巻がぐるぐると駆け巡り続けている感じ。


このやるせないもやもやを誰かに告げようか?


この限りないむなしさの救いはないだろうか?


この燃えたぎる苦しさは明日も続くのか?




乳首のせいで神経を擦り減らしてしまったからなのか、いつもより遥かに早い、21時に夢の世界へと落ちてしまう。


そのせいでTwitterで予告した22時にキャスを開くことができず、日付が変わる一歩手前になってようやく寝ぼけ眼で配信を始めた。


キャスではまるで台本があるかの如くスムーズに乳首の話になり、二枠目に突入したところで実際にスポールバンを剥がす流れになった。


痛くはなかったが、スポールバンはぴたりと乳首に密着しており、下手すれば貼るときよりも恐ろしかったかもしれない。


思い切り剥がされ、三日ぶりに露わになった自分の左乳首を眺める。


・・・あれ?僕の乳首、こんなに大きかったか?


まるでバネのように、抑圧されていた分だけ飛び出てきてしまったのか?


「よかった、穴は空いていないね」


「刺した跡から血が滲んでたらどうしようかと思ったよ」


左乳首がすこし肌寒い部屋の空気に触れ、両肩にぐっと力が入る。


さて、ちょっと触ってみようか。




「待て」を解除された飼い犬のように嬉々として左手で触ってみたが、心底驚かされた。


感度が、もう全然違う。


幸いにも右乳首にスポールバンは貼っていなかったため、ビフォーとアフターを比較することができる。


右手で右乳首をつまむ、離す、左手で左乳首をつまむ、離す、右乳首、左乳首、右、左、右、左・・・。


明らかに敏感になっている。


右はほんの先端を触られているとしか感じないのに対し、左はもっと重い感覚で、触られている感覚としても借りてきた大きな乳首をつままれている感じがする。


快感を欲していたというよりも、童心に帰ったかのような知的好奇心から、ひたすら乳首をこねながらキャスを続けた。


何ヶ月、何年先を見越して開発を始めたつもりだったのに、たった三日で効果が出てしまうなんて。


我が乳首の持つ、末恐ろしい素質にときめきが止まらなくなった。


画像:才能開花のイメージ




僕のキャスでは本当に珍しいことなのだが、まだ聴いている人がいるのにそそくさと挨拶をし、時間の途中で配信を切った。


それくらい乳首への刺激に没頭したくて、言葉を選ばず気持ちの悪い表現をするなら、ムラムラしていた。


座椅子に座ったままベッドから掛け布団を引きずり下ろし、頭からざぶんと被る。


そのまま、卑小な闇へと溶け込む態勢を取った。


やっぱり、絶対、敏感になっている。


爪で先端を引っ掻いたり、親指と人差し指で回してみたり、人差し指と中指で挟んでみたり・・・


嬌声をあげるほどのはっきりとした多幸感はなかったものの。


ぼんやりと優しくて、暖かくて。


意識こそはっきりとしているが、心と体がくらっと眠りにつく直前のように。


乳白色の薄いもやがかかったり、湖畔のような静寂に、たまに少し強い風が吹いて。


喉がぐいいっと伸びて、両眼はまぶたの中で空を見上げる、背中は断続的に、ほんのりと感電しているようだった。




勃起自体にはかなり前から気づいていたが、ふと鈴口に触れてみると、我慢汁で満たされていることに気がついた。


そもそも僕は我慢汁があまり出ない体質で、ましてやAVも観ていなければ相手もいない状況で出たのは記憶にないくらい久しい体験だった。


本能が働き、僕は右の乳首にも手を伸ばした。


すると、今まで乳首で感じていた強さの倍どころではない快感に襲われてしまう。


1.5+1=8くらいの感覚。


そうか、今まではもう片方の手が塞がっていたから気づかなかったんだ。


両乳首を同時に刺激するのって、こんなに気持ちいいんだ・・・。


明日を迎えるのがいやになった。


このままずっと埋もれていたい。


つらい朝が来たら、短いタイムカプセルのようにスポールバンを貼ろう。


思ったより早く無くなっちゃいそうだなあ。


明日からは倍貼らなきゃいけないんだもんなあ・・・。




【アレックスの乳首開発日記】第一章・刺突体験編



乳首を開発するにあたって、まずは情報収集。


毎日5分間電マを当てるやら、一日6セットで乳首を指でいじるやら色々な手法がヒットした、が。


どうやらそれらは効果が薄く、数年単位での開発になることもしばしばだそうだ。


飽きっぽい僕では到底開発しきれそうにない。


そこで僕が目をつけたのが"スポールバン"による開発。


聞き慣れない言葉だと思う方も多いと思われる、これがスポールバンである。




構造としては、磁力によって患部の回復を図るピップエレキバンに鍼(はり)を組み合わせたものである。


つまり、乳首に針を刺し続けるということ。


これにより寝ても覚めても勝手に開発が進むという、それこそ夢のような話が現実のものとなる。


「女に生まれなかったばっかりに、親からもらった大事な身体に針をぶっ刺すことになるなんて…」というペーソスを帯びながらも。


思い立ったが吉日、さっそくAmazonで30本入り(テイとしてはテープのはずだが、針が付いているので本で数えるようだ)のスポールバンを購入した。


ちなみにAmazonでの料金設定はこんな感じである。




さて、それから四日後。


スポールバンの入っているであろう薄い小包と、エネマグラが入っているであろう段ボールを受け取る。(エネマグラはまた別のお話である)


届いたスポールバンがこちら。




「肩のコリにも筋肉の痛みにも悩まされていないけどな・・・笑」とにやにやしながら箱をこじ開ける。


箱の中からは、ノスタルジーを優しく撫でられるようなおばあちゃん家の香りが漂ってきた。


ところで届くまで気になっていた、針のサイズ。


画びょうサイズなのではないか?乳首が壊れてしまうのではないか?という小さな不安。


しかし、シートを見渡してみても針が見当たらない。


じっと目を凝らしてみる。


すると確かにシートの裏に存在していた、本当に小さな針。


こんな小さな針は見たことがない。


自分でも驚くほど滑らかにテープと左乳首が吸い寄せられてしまう、まるで半年ほど前からずっと使い続けているかのように。




ペタッ。


・・・。


・・・・・・。


痛みはほぼなかったが、じんわりと左胸が温まるのを感じる。


ああ、ここからようやく始まるんだ。


針と乳首という決して交わることのなかった両者が、しなやかに絡まり合って新しい僕を紡いでいく。


姿見で乳首がどうなっているかを確認してみた。


けっこう恥ずかしかった。




スポールバンを貼り始めてから数十分ほど経った時のこと。


何度か軽く手のひらで押さえ、じんわりと温もりが広がるのを愉しんでいた。


しかし、あるところでいつものように左乳首を軽率に爪で引っ掻いてしまう。


刹那、乳首へと電撃が奔流(はし)る・・・!!!




痛すぎてちょっと泣いた。


なんで手のひらだとなんともなくて、爪だとこうも痛いのか。


左半身が重たくなって、左腕を折った人のように一挙手一投足が怖くて仕方がない。


こんなもん、乳首のイップスになるわ。


歩き方すら少しぎこちなくなって、モチベーションもダダ下がり。


快感への道のり、あまりにも険しすぎる。




とりあえず数日間着け続け(スポールバンは防水加工もされているのでシャワーすら耐える)、乳首がどう成長したかをまた随時報告したいと思っています。


興味のある方はぜひ僕と一緒に始めましょう、僕は伴走者を欲している。


それでは。




今までありがとう。僕は女の子になる。




おっぱいがあって。


いい匂いがして。


スカートを履けて。


可愛いものに可愛いと言える。


神様、聞こえますか。


僕は女の子になりたいのです。




たしかに、男として生きるのはとても楽しい。


熱くて、面白いことがたくさんできる。


でも、たまに思ってしまうことがある。


ふわふわと斜めに街を歩いてみたい。


甘いものを恥ずかしがらずに食べてみたい。


僕達は、違う人間になりたかった。


ささやかな、たった一つのちんちんが。


体にも心にも重くのしかかる。


もしも、自由に行き来ができたなら。


どれほどわくわくするだろう。


鏡に向かって服を選ぶように。


朝ごとに、どっちの自分になるかを決められたら。


この世界は、辛く厳しかった。


ほんの一日も女の子になれないなんて。


ほんの一秒も女の子になれないなんて。


こんなのおかしくない?




中学で女の子の存在を知った。


知れば知るほど不思議な生きものだった。


女の子にはちんちんがないのに。


あんなに気持ち良さそうな顔ができる。


テンピュールのようなやわらかい肌。


丸くて真っ赤な唇。


僕は女の子になりたい。


僕は女の子になりたい。


ある時、自分だと思って女の子を見た。


すると、自然と胸が熱くなって。


頭がぼーっとして。


息が苦しくなる。


女の子って、こんな激しい時間なんだ。


また次の日も、僕は女の子になった。


なればなるほど、僕は女の子になった。


僕は女の子がとてもよく似合っていた。


中途半端な女の子より、もっとずっと女の子だった。




大人になった今でも、思い出してしまう。


僕は女の子になりたい。


雲間から光が差し込むように。


気を抜けばくすむ世界を、きらきらさせたい。


来世なんて、あるかないかもわからないものに。


僕の幸せは任せられない。


僕は、僕の手で、女の子になる。


女の子になって、女の子みたいに気持ちよくなる。


朝に選べないなら、夜に選べばいい。


怖かったら、引き返せばいい。


ひとつだけじゃ物足りない。


気持ちいいものはぜんぶ欲しい。


僕は、僕は、女の子になる。












というわけで前立腺と乳首の開発に着手します。


手始めに、3000円のエネマグラ(ローション付き)と1500円のスポバンを買いました。


届き次第、実際に使ってみてレビューをします。


また、開発の進捗状況は随時こちらのブログにてお知らせしたいと思っています。


応援メッセージ、アドバイス、罵声などございましたら、気軽に投げかけてください。


それでは、来たるべきニューアレックスにご期待ください!




注:本文には多少の過剰表現が含まれております。女性への尊敬・好奇心が人一倍強いのは間違いありませんが、アレックスさんは生まれた時も現在も、心身ともに"男"です。ちんこを見ても興奮しません。





書くことがないのでちんこの話でもしようかと思う




僕は場を繋ぐために初対面の人によく趣味を聞く。


副産物として、その趣味から独断と偏見で人となりを推定するのだが「人間観察」と答えた人間が何人かいた。


奴らはもれなくヤバかった、それも十人十色のベクトルで。


ある奴は森羅万象が手に取るように分かっているつもりのサブカルクソ野郎、ある奴は音楽に溺れた社会不適合者だったりと・・・


自分の身は自分で守れるはずだ、皆さんもそんな奴らにはぜひ気をつけて頂きたい。


話が逸れたが、今日は僕の趣味である人間観察についてのお話をします。




僕は東京へ遊びに行くのが好きだ[注1]が、人と会う都合以外は旅程甘決めのままで向かうことが多い。


というのも、東京で暇を持て余すリスクが僕にはない。


ぼんやりと駅前のベンチに座り、イヤホンを耳に挿しながら街行く人の波を眺めているだけで、平気で映画一本分くらいの時間をドブに捨てることができてしまうのだ。


ちなみに僕が今までで一番「東京凄えな!」と思ったのは上野駅、ブルーシートの上でみたらし団子をかじるホームレスおじさんと、パステルカラーのロリータ嬢が同居していた、その光景である。




ところで僕は人のどこを見るか。


男なら主にファッションを見る。


そもそも僕はイケメンが好きで[注2]、その顔とファッションを見て点数をつけ[注3]、80点以上の男をスクラップにして心のアルバムに閉じていたりする。


そして服屋に赴いた時にそのアルバムを開き、それに似た服をアルバム買いするのだ。


ちなみに40点以下だと心の中の植松晃士[注4]が高らかに「おブスで〜す」と鳴く。




さて、女性を見た時はどうか。


僕の中で一時期トレンドになっていたのは、顔を見て「イヌ顔部屋」「ネコ顔部屋」「それ以外部屋」の三つの部屋に仕分けするという楽しみ方だ[注5]。


各々の動物観によると思うが、決まって混雑するのはイヌ顔部屋だ。


ちなみに"それ以外"には、キツネ、タヌキ、カエル、カバ、ワニ、ニワトリ、パンダ、カマキリ、ムーミンなどが該当する、飼育員さんも大忙しだろう。


ちなみに僕の趣味[注6]はというと、造形的にはネコ顔、リビる[注7]かどうかではダントツでイヌ顔になる[注8]。




ここから次第にちんこの話へと移行するグラデーションの美しさを鑑賞して頂きたい。


三つの部屋の中では、やはり夜になると彼女らがどうなるかを思い描いてしまう[注9]。


ここでのキーワードは「意外と…」だ。


真面目そうなリクルートスーツのお姉さんが意外とキス魔だったり、スマホ二台持ちのお姉さんが意外とプレーンなパンツだったりと・・・。


僕がライトメンヘラ[注10]好きな理由もそこにあって、どの男にも今まで採掘されてこなかったが故に自分の魅力に気付けていない女性を力強く掘り進めたい。


女を上げて自分は落ちる、全力で衝突して対消滅したい願望が心の奥には在る。


僕は「体目当て」という言葉が嫌いだ。


誰しも一度は「男女間の友情は存在するのか」の議題に対峙したことがあると思うが「しない、どうせ体目当てで近づいているから」という回答のナンセンスさといったらない。


同性間の友情だって、例えば一緒にいて気を遣わないとか、自分の好きなアニメの話ができるとか、何かしらの"目当て"があるはずなのに、どうして体だけ場合分けしてしまうのか。


僕は恋愛も含め人間関係なんて互いが得しなければ嘘だと思っている。


体目当ても決して悪いことではなく、ご飯を奢るなどそれに見合ったものを返してあげればいいだけの話である、と僕は思う。


あとライトメンヘラは性欲が強い。




加えて女性とはギャップという資源を抱えながら生きていて、僕はそれを採掘するのが好きだ。


マクロな話に逸れるが、この国の経済を回しているのは紛れもなくギャップである。


ここにおけるギャップとは非日常、いわゆる「間違い」と言い換えられるかもしれない。


残業終わりに会社の非常階段で立ちバックしたり、義妹のケツを揉みしだいだり[注11]、間違いを犯すためならば人はパラメータ上げの反復作業に励むことができる。


間違いには中毒性があって、間違っていることの方が面白い。


どうかこれを読んでくれた皆も間違いだらけの痛快な人生を送っていただきたい。




最後に、街行く人々に気付かされたことを二つ書いておこう。


一つは歌舞伎町で思ったことだが「水商売の女性は意外と帰る時笑顔」[注12]ということ。


僕は風俗に行ったことがないのでよく分からないが[注13]、「嬢は営業スマイルと普段の表情の落差が千賀[注14]のフォーク並にある」という偏見を抱えていた。


しかしJR新宿駅の東口で目にした女性はみなきらきらと輝いていて、まるで甲子園で一勝し校歌を斉唱する時の21世紀枠の球児[注15]のごとき笑顔で、僕は腰を抜かした。


よくわからないが「逆に夢壊れるわ!」と思ったことを覚えている。


その彼女らの笑顔の要因として色々心当たりはあるが詮索はやめにしよう、なんにせよ笑顔なのはいいことだ・・・!




もう一つは「みんな意外とセックスをしてない」ということ。


たぶん皆なにかしら性生活に不安を抱えていて、隣の芝生が真っ青に見えているだけの話である。


全くもって人のことは言えないが、ギャップ専門家の僕からすれば夜の男どもは"意外と"童貞ばかりであるように見える。


冷静に自宅の敷地内の芝生と向き合い、自分に足りないものを補う努力さえ続けていけば、いつの間にか人よりもたくましい芝生[注16]が茂っているはずだ。


というわけで、僕はいま、包茎手術の相場を調べています。[注17]



写真:内気な男性




またしてもツイキャスのトピックに脚注を貼ります。なくてもいい駄文のデザートをお楽しみください。





遅くなりましたが、今年の夏休みの自由研究がこちらです




あのー僕、すごいものを見つけたんだけど、知ってるかなあ?


""音楽""って言うんだけどさあ・・・(舐めきった序論はとても気持ちが良い)




音楽の素晴らしさは、感情を柔軟にコントロールできるところにある。


楽しさを爆発させたい時は一本のダイナマイトに、悲しみを収めたいときは一枚のハンカチになるように。


精神を任意の感情へ染めるための触媒[注1]として働く音楽を、誰しもが持っているはずだ。


ここで、聡明な僕ゆえの明察っ・・・!


気づくよな・・・今まで、その気づきで他者を圧倒してきたのだから・・・!


ああ、それは気持ち良くなりたい時に聴くべき音楽があるはずということだ・・・![注2]




これは僕がまだ自意識を尖らせていた頃・・・(あたかもむかしむかしの話のように語り出したが、比較的最近の話である)


以前は死人の心電図のごとく平坦でつまらない日々を過ごしてきたが、とある日を境に、不意に異性にチヤホヤされてみたくなった。


それからというもの、香水をつけてみたり、相席居酒屋へ身一つで飛び込んだり、スケベなソファを買ってみたり、小手先の小手先で恋愛"もどき"を黙々とこなしてきた。


その甲斐あってか、当社比で頭数だけは多くの女性とくっついたり離れたりする[注3]日々を過ごした。


そのさなか、僕の持って生まれたサービス精神が高じて(低じて)、ライトメンヘラガールとの宅セク[注4]中にiPhoneで音楽をかけたことがあった。


それは(この人、宅セク中にiPhoneで音楽をかけるとは、なんてオシャレな人なんだろう!)と思われたかった部分ももちろんある。


が、浴室で数々の水滴が衝突し合う轟音を聞いた後の真夜中の日本、あまりにも静かすぎた。


沈黙に耐えられず、iPhoneの画面を下からスワイプし、その時によく聴いていた『becoming』[注5]を思い切って流してみせた。


相手の顔を覗き込んでみる。


信じられないくらいの、美しい無表情だった。


そのまま自然体を装って添わせ寝[注6]を始めようとしたが、聴くとiPhone「いつの間にか君なしじゃ息もできない〜♪」と切なげに歌っていた。


相手が心なしかほくそ笑んでいるように見えた(たぶん聴いちゃいない)


メンヘラが!ほかのメンヘラを馬鹿にするんじゃあないよ!!!(たぶん聴いちゃいない)




それに懲りず選曲について唸り悩み続ける、全ては相手に気持ちよくなってもらうためであり、相手の快感は僕の快感でもある。


ピンサロよろしくYouTubeでギンギンのユーロビートを流したり、逆にクラシックが良いのかと『雨だれ』[注7]を流したりもしたが、シナシナのパサパサでどうも満足のいく反応が得られない。


そのうち僕は一つの結論に辿り着いてしまった。


・・・音楽、いらなくね?



そもそも、日本の静かさを音楽でかき消したいのなら、一人で自室にこもって耳をイヤホンで塞げばいいだけの話。


なにも太陽に背いて真裸になる必要なんかこれっぽっちもないのだ。


音楽は万能だが、唯一寂しさへのキキメは無に等しいのだ!


世の音楽好きよ!わかる!わかるよ!


音楽は今まで僕らを救ってくれたけども!


違うんだ!寂しい時は音楽じゃない!


寂しけりゃヒトの声、ヒトの音を大音量で聴きまくるんだ!わかったか!!!


あとユーロビートはダメだ!ケツが攣るゥ!!!!!



ところで、ふつうは人が曲を選ぶはずだが、ごく稀に曲が人を選ぶことがあって、僕はこの事象を「選人」と呼んでいる。


朝まで僕の部屋にて男女数人と人狼をやったことがあって、それから昼過ぎまで雑魚寝をしたことがある。


それからふわつく身体でIGGY POP FAN CLUB』[注8]を聴きながらコンビニまでお茶を買いに行った。


一曲リピートを続けたまま部屋に戻ると、みな輪になってしょうもなトークを繰り広げていたが、一人だけ未だに平らに倒した座椅子[注9]に寝転んでいた女の子がいた。


窓からの西日に照らされた不思議な横顔から数秒間、目が離せなくなった。


奇跡らしい奇跡も久しぶりで、濁流のような劣情を催したのは忘れられない・・・。

君は家猫娘だった
この部屋でいつも寝転んで

俺のこの部屋に入り込む夕陽に映る
君の顔見とれてた俺は
まさに赤色のエレジーだった!!



それから一週間か一ヶ月か、あの子のことが好きに"なりそうに"なって仕方がなく、ナンバガがいなければ生まれることはなかった余剰性欲と戦い続けていた。


さすが音楽、哀しき色情においては効果てきめんで、恐ろしくキキメが長い。


結局、彼女は夕陽の差さない時間に僕の家を再訪し、二人でめくるめくセッション [注10]を繰り返した。


人が音楽の言いなりになった歴史的瞬間である。


皆さんも、「選人」には気をつけましょうね!!!



おしまい





脚注はツイキャスのトピックに貼ろうかと思います。読みたい人はそっちも読んでください。我ながらオシャレなシステムだ・・・!