三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

愛は一方通行だ



あけましておめでとうございます。


僕に関わってくれた皆様。


今年もどうぞお手柔らかに宜しくお願い致します。




年末の東京旅行の疲れがまるで抜けぬまま年が明け、どっぷり寝正月を過ごした。


元日の昼過ぎに起きると膀胱がパンパンになっていることに気づいた。


正月最初の感覚が尿意かよ。


と呆れながら少し我慢してテレビを点けてみると、三重だったか鹿児島だったかの海に飛び込む伝統行事が特集されていた。


レポーターが「今年はどんな年にしたい?」と質問しスク水の女が「今までの人生で最高の年にしたい」と答えていた。


僕はテレビに出るのが人生の中くらいの夢なので、自分がそう聞かれたらどう答えるかを脳内でシミュレーションしてみた。


いくら考えても答えの出る気配がないのでひとまずトイレへと用を足しに向かった。




どんな年にしたいか。


この質問には答え難い。


歳を重ねるにつれて人生なんていよいよどうしようもないと思い始めているからだ。


僕の思惑が及ばないような場所に鎮座するエンターテイメントの神様が、僕を強大な力でもみくちゃにしている感じ。


これは別に受動的な運命論を提唱しているわけではない。


人生とはその場その場で空から降ってきた二択に答え続けるようなものだと思う。


どれだけこうなりたいと願い続けても選択肢の中にそのための言動が含まれていなければどうしようもない。


この限定的自由によって生まれた、別の幸せを獲得できる機会こそ人を当惑させる原因だと思えてならない。




小便と共に喜怒哀楽に分類できないややこしい感情が勢いよく流れ落ちた。


自己陶酔による卑小な幸福感が得られるのでトイレに立てこもるのは楽しい。


夜など特にそうで、電気を消してじっと座りドアの一点を見つめ続けている時。


便器ごと等速で移動していてドアを開けたら世界が大胆に変わっているに違いないとニヤニヤしながらドアを開けるが、いつも動いているのは時間だけである。


ネガティブを押し潰すのはいつの時代も没頭で、頭の中で明確なルートを描いた上でトイレ旅行するのはかなり心が晴れる。


そんな気分で出た答えは「モテ散らかしたい」。


これが嘘偽りなく、どこの局で流しても恥ずかしくない僕の真摯な願いだ。




そういえば常々思っていたこと。


女に嘘をつく権利はない。


外見を化粧という嘘で固めた挙句に内面すら隠し通すのであれば、一体どこで本当の自分を公開するのか。


優しい嘘以外の嘘を吐く人は、本当の自分より軍が上の自分が映る蜃気楼を作り上げようとしている。


それを暴こうとあれこれ手を下すのはこっちも追い剥ぎになったようで気分は良くないし、いざ嘘だと発覚した時は吐いた側も吐かれた側も後ろめたくてすごく気まずい。


本当のことを言うか嘘を吐くかの二択に対しどれだけの覚悟を持って後者を選択しているのだろうか?


八十年という時間は嘘を信じたまま終わっても良いと思えるくらい短い期間なのだろうか?


僕はそんな嘘で固めたキラキラの女の子よりも、自分を大きく見せる必要がないと思えるくらい自分の世界の軸が中心にある女のほうがよっぽど魅力的に見える。


だが、特例が無いこともない。


そんな反則技を使ってでも僕に気に入られたい欲望を抑えきれない子ならば許せるだろう、とはまあ、思う。


それくらい形勢の良い恋愛をしてみたいものだ。




トイレに籠りながら音楽を聴いてしまう癖が抜けなくて、今日もエンターテイメントの神様に任せシャッフル再生を始めた。


すると、ちょうど嘘について考え込んでいる時に流れ始めて驚いた、東京事変ピノキオ。


今年は六がよく出る奇跡めいた年になるんじゃないかという幸先の良さを感じて少し嬉しくなる。


思えば椎名林檎のファンになってもうすぐ十年が経つ。


思春期には気恥ずかしくて口が裂けても好きだと言えなかったが、今は誰かにオススメの曲を教えたくて仕方がない。


それゆえ中高で組んでいたコピーバンドでも各自好きな曲をやれるように自分の主張を押し通そうとするなか、僕だけはいつも黙って口論の仲裁に回っていた。


そういえばバンド時代に僕が他メンバーに推した数少ない曲の一つに『三分の一の純情な感情』がある。


あの曲もずっとヘビーローテーションしていた時期があって、カラオケでもなんべんも歌いその度に高めのキーに喉を潰された。


それでもなぜ「三分の一」なのかの理由が分からずじまいだったが、最近ようやくわかった気がする。


きっとこの恋に溺れる男は二軍以下の男で、惚れた相手は一軍なのだ。




クラスのヒエラルキーの形がちょうど正三角形だとすると、二軍は一軍の三倍の人口を抱えている計算になる。


単純計算で一軍の愛は二軍の愛に比べて三倍の希少価値がある。


どう定義するかにもよるが、相手から等量の愛が返ってくることを「伝わる」とするならば三分の一も伝わらないのは当然の成り行きである。


「惚れた方が負け」いう恋愛慣用句は同じ分の愛を受け取れずに収支大赤字、どんどん心が貧しくなるという意味も多分に含まれているだろう。


コスパなんてつまらないものは求めず、恋に恋するくらいでなければまともな精神を保った恋愛なんてできないはずだ。


それに気づかず『愛は一方通行だ』なんて言う奴は間違いなく一軍ではない。




排尿が済んでから少し時間が経ち、自己陶酔も徐々に冷めてきたあたりで件の回答が正しいのか不安になってきた。


そんなことを答えたところでどこのディレクターがオンエアに乗せるのか。


そもそも人間として不正解な気がしてきた。


だいたいモテ「散らかす」ってなんだよ。


誰が片付けるんだよ。




どうしてこんなにモテたいかというと、単に性欲を満たしたいだけでもない気がする。


男にそれなりにモテる一方で女からの需要がかなり小さいのをめちゃくちゃ気にしているのだと思う。


それが2chでも叩かれたことがあるくらいの人一倍強い自己顕示欲の源になる。


僕の自己顕示欲はさらに「凄いと思われたい」(対三軍以下)と「必要とされたい」(対二軍以上)に細分化される。


今は後者の自己顕示欲がかなり育ってきている。


一軍様および二軍さんに必要とされるためにも、今日もひたすら二択を当て続けるしかないのだ。


壁の向こうが両方泥でないことを祈るばかりだ。




ようやく寒さが気になりだして便座から立ち上がった。


こんなふうに原稿用紙7枚弱分の考え事をしていたのでつまみを間違えて大のほうに捻ってしまう。


流れる水は淡黄色の水面を一瞬で覆い尽くし、そのまま奈落へと落ちていった。


水は一方通行でとても分かりやすい、のになあ。