三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

鉛筆について



※この記事は2016年12月26日に関東地方で掲載されたものです。





よその学校がどうかは知らないが、私は小学校でシャーペン使用を全面的に禁止され、中学校では鉛筆使用を推奨された記憶がある。


どうやら担任曰く「芯が折れないようにシャーペンを縦に持ってしまうため、横からノートを覗き込むような姿勢になるので良くない」という理由らしい。


私のコミュ力がまだ枯れる前、中学の入学式の次の日に新しい友達とシャーペンを買いに行った。


それが12歳の私にとっての精一杯の背伸びであった。




私はそのシャーペンでノートに思い切り落書きをした。


使い慣れた鉛筆のやわらかい書き心地を全否定したような、そんな鋭い感触に私は虜になってしまった。


それから一心不乱に芯を擦り減らし、絵を描き続けた。


家にあった88弦の電子ピアノを丁寧に模写し、弦の数に過不足が無いことを確認してから、その絵のすぐ下に「ヤマハに通おう」と書き足した。


その絵に存在意義なんてこれっぽっちもなかった。


ああ、この、無いなら無いで良いものこそ芸術を芸術たらしめるのだろう、と芸術家になる身でもないのになにかを掴んだ気でいた。




人はこの尖った感覚に陶酔した状態を「厨二病」と呼ぶ。


大人達はこのような厨二病患者を根絶させるために、センター試験という大義名分を利用して高校生達に鉛筆を使わせたがるのだろう。


私はその陰謀になんとなく勘付いていたのでセンター試験にもシャーペンで挑んだ。


おかげで私は今でも重度の猫背である。