三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

セックス女とスパークル女




先日、Twitterで「#TLが静かなので好みのタイプを言う見た人は絶対やること」というタグを見た。


絶対って言われちゃったし、たまには人が作ったタグに乗っかってみるかと考える。


今までに好きになった子を思い返してみた。


あれ、好きになった子が少なすぎる。




僕は人生で好きになった子が四人しかいない。


そのうちの一人は精通の遥か前なので、文化的な性愛の対象としては三人になる。


ここ十数年で三人とは、なかなか可哀想な男だ。


そりゃ街ですれ違って漠然とこう思うことはある。


「あっ今の子可愛い。この子はどんな顔で喘いで、どんな言葉を持っていて、どんな技を持っているんだろう。たまらんなあ…」


それを好きになったと捉えるならば、僕は今までに好きになった子が65535人いると自信を持って言おう。


僕はその6万人と3人の違いを必死になって探し、ふたつだけ見つけた。


「僕のことも好きになってもらいたいか」


「ほかの男に取られたくないか」




正直なところ、僕は以前までセックスに幻想を抱いていた。


セックスをした男女なら、どんな大きな障壁も乗り越えられると半ば本気で思っていた。


しかしよく考えてみると、自分のことを好きでもないし人に取られて気に留めない女がいたとして、そいつとも平気でセックスはできてしまう。


「可愛い」と言うくらいなのでささやかな愛はあるのだが、これを一緒くたにするのは受け入れられない。


こんな享楽的な行為を愛の象徴だと思っていたなんて、悔しくてとてもやりきれない。


キャスでも課したが、早く狭義のセックスの呼び名をこれを読んでくれた人にも考えて欲しい。


ここではひとまず「スパークル」とする。


この世の彼氏と彼女の数は同じだが、セックスとスパークルの回数は必ずしも一致しないのがなんとも切ないところである。




さて、件のタグになんと答えるか。


僕は迷った挙句「自己顕示欲の弱い子」と答えた。


僕は自己顕示欲の強い女の子が苦手だ、それはなぜか。


まずはセックスができる女、セックス女について。


これはおそらく、気味の悪さ。


男は万人受けに近い形でモテ続けなければ生きていけないが女はそうではなくて、見つかろうと努力する必要は本来無いと思う。


自己顕示とはほぼ求愛行動であり、クジャクが羽を広げるのとほぼ同じだ。


地球上にメスから求愛を始める動物はかなり珍しく、その違和感が僕のバレンタイン嫌いの原因にもなっている(残りの大部分は大量にチョコを貰う男への嫉妬)。


だが現代ではSNSが自己顕示の舞台を完璧に整えてしまったので、強欲な女子が世界に溢れるようになった。


男子の草食化は女性の強欲化と合わせて進行しているように見える。


日に日にボーダーレス化を推し進める女性は恐怖以外の何者でもなく、それでは本当の意味で繋がれなくなってしまう。


境目は繋目でもある。




思慮の浅い男がよく口にする「女はアクセサリー」という慣用句。


これはモテ続けなければいけないというのもあるだろうが、とすれば人が良いと言ったものの価値が高まるという意味で男のほうがよっぽど宝石なのかもしれない。


この言葉を初めて発した人間の本意が「原石は地中に埋まっている」という風であると信じたい。


そろそろパンケーキなんかやめてさ、家でコッペパン齧ってじっと待ってたらさ、いつか熱心な男が掘り返しに来るよ。


え?例えば?……俺、とかがさ………………。




そして僕がスパークルしたい女の子、スパークル女について。


これは明らかで、誰にも取られたくないからである。


他の男に取られないくらいの魅力的な男になれば話は早いのだが、みすみす引き裂かれる不幸度と自分の成長速度を勘定して製作した付け焼き刃。


恋愛体質に生まれなかった故の骨抜きテクの欠如と、今更ドッグタグをつけるような壊滅的お洒落センスが改善されるのはもう少し先になりそうなのだ。


そのぶん、その子の自撮りに平均で100いいねが付くのなら、100人分の勢いで褒めそやす覚悟が僕にはある。


願わくば、僕だけにひしひしと自己顕示をしてほしい。


スパークル女は、美味すぎて誰にも薦めたくない定食屋みたいな存在でいてほしい。


卑小かつ横柄な言い草に聞こえるが、自分の名誉のために実直な希望であると言っておく。




さて、ここまで書いてから例のタグへの新しい回答が浮かんだ。


タイプの話とは少し外れるが、そういう女の子だったら好きになりやすいかもしれないなという話。


セックス女からスパークル女へ昇華する経路の一つ。


それは「ストーリー性」。


おこがましいかもしれないが、運命にときめいてみたくなった。


僕は占いの類を全く信じないが、日頃の行いから導かれる巡り合わせの存在は信じている。


一度でいいからしてみたい、偶然が幾重にも重なり合った数奇な出会い。


相席居酒屋を起点に始まる恋愛のなんと人為的なことか。


平成ももうすぐ終わるが、りぼんの連載で描かれるような昭和のステレオな恋愛。


後から思い返して物語の不安定さにニヤニヤしてみたい。


セックス女と出会うだけならまだしも、スパークル女にはもっとロマンを見ても許されるのではないか。


こんな恥ずかしいことをあけすけに書けるあたり、本当に僕は青春末期だ。




久しぶりに頑張ってブログ書きました。


あなたの分まで自己顕示欲を満たせるようにまた頑張ります。


美味すぎて誰にも薦めたくない定食屋で働くおばちゃんくらい頑張ります。