三軍の幸福論

君も幸せになる時が来たんだ

ただしい現実延命学概論




はじめに、現実は辛く厳しい。


ある時は猛烈に足の小指を蹴ってくるし、またある時は殺意を持って肛門を裂こうとしてくる。


人は目に見える不幸を現実と呼ぶ。


目に見えるくらいの距離では避けようもないが、視野を広く持っていれば受け身を取ることくらいはできるだろう。


ちなみに理想とは目に見えない幸福なので、本来理想と現実は互いに干渉しない概念である。


ただこれまでの行いの積み重ねや自分の意思が介在しない周りの環境によって今の自分が形成されているので、ギャンブラーの誤謬があながち誤謬ではなくなっているのかもしれない。




幸福と不幸はナナマルサンバツのようなものだ。


どれだけ多くの幸福を荒稼ぎしていても、たったいくつかの不幸で人生からドロップしてしまうことがある。


それゆえに人生の攻略法として、不幸を避けることの方が大事であるように思える。


用心深く人生を歩めという意味を含んだ「現実を見ろ」という言葉がある。


表面上は冷徹に見えて、僕らの不幸を蜜の味だと感じる程度の他人からは決して出ることのない、ありがたい言葉だと思う。


僕は「やればできる」という台詞が嫌いだ。


確かに若者はなりふり構わず行動した方が状況が好転するケースが多いのは間違いないとは思うが。


不特定多数が目にするスローガンとしての存在価値には大きな疑問符がつく。


きっとこの言い回しを発明した人間は、生きる才能のある強い人間なのだろう。


強い人間から弱い人間へ何かを与える時の動機として一番初めに来るものは同情だと思う。


弱い人間同士だからこそ、相手の心に寄り添って与えられる言葉もあるのだ。


弱い人間から投げかけられた言葉こそ、その背景に隠された趣意に辿り着くまでよく読み解いた方が良い。




ところで、僕の現実もむちゃくちゃに洪大だ。


もちろん、目に見える不幸の意味で。


先に書いた通り、この現実を現実にしたのは他でもない僕だ。


ただそれの原因となる僕の人格的欠陥があまり見つからない。


これがいわゆる「宗教」だというのか。


自分が好きすぎて、崇拝対象は欠点すらも愛おしいというやつなのか。


それでいて人のアドバイスも知らんぷりというのだから。


ああ、これは一つ重大な人格的欠陥だ。




ほかの欠陥は人に指摘されるの待ちだとして、最近自分で見つけたものが一つある。


それは「ながら行動しがち」なこと。


ここから書くことはすべてADHD予備軍の一言で片付きそうなものだが、まだ民間療法でやっていこうと思う。


例えば野球を見ながら文章を書いたり、キャスをしながら料理をしたり。


とにかく一度に二つ以上のことを同時進行させたがる癖がある。


一つの物事に集中を向けられないからこそ、二つ以上の物事を用意すれば片方に飽きた時にもう片方をやれば良いという能天気な発想である。


僕は言い訳が大好きなので、これはある種のセルフハンディキャッピングかもしれない。


もしくは不器用で愚鈍な人間がおままごとマルチタスクをして自己陶酔に浸っているだけかもしれない。


極めたいくらい魅力的なものを見つけられていないだけなのかもしれない。


とにかく、二つを同時にこなす時の生産力は飽きながらも一つに集中した時のそれを遥かに下回る。


おかげでついに僕はスカスカ人間に堕落してしまった。


観た横浜戦の詳細な内容も覚えていなければ、文章も後から読んで恥ずかしくなるような拙さで、ラジオも一度聞いた回を何度も楽しめてしまうし、肉は焦がさないことの方が少ない。


こう書き並べると救いが無さすぎて、みぞおちがぎゅっと締め付けられる。


こうやって人の倍のペースで現実を量産してきた。


ほとんど現実が服を着て歩いているようなものだ。




この欠陥に救いがあるとすれば、これはおそらく皆が抱えている問題だろうということだ。


地上がなにかに没頭できるくらい幸せな人間で溢れているはずがない。


だからみんな不幸だ。


僕はまだ大丈夫・・・


これがご存知「現実逃避」である。


アンダーラインを引いておけ。


目に見える不幸なんて目をつぶって考えるのをやめてしまえばそれでおしまい。


死ぬまでその不幸と目を合わせなければ、その不幸は最初からなかったことになる。


逃げられる時は逃げまくれ。


そしたらいつか幸せになれる。




現実逃避の難しさは、死ぬまで独りでいなければ逃げ切るのは難しいというところにある。


奥さんや子どもといった他人ではない人達を霧の中のトロッコに同乗させる罪深い行為。


まともな人間の精神では耐えられない。


メンヘラの罪があるとすればこれだろう。


人よりも多くの愛を欲するくせに、すぐに自分だけ現実逃避を繰り返す。


メンヘラとくっつくのは勝手だが、それに先んじてトロッコのレールの辿り着く先を確認した方がいいというのは学術的に証明されていることだ。


ということだけ言い残して今日の授業を終えたいと思う。




チャイムが鳴ったが、久しぶりだから最後に。


僕のブログを読んでくれる人はもはや他人ではないので、ぜひ一つでも不幸にぶつかる回数を減らしてほしい。


それは苦い思いをする僕の不幸を回避することにも繋がる。


まあ、今日のこの文章もDAOKOの『いいこいいこ』を聴きながら書いてるんだけど。


こんなしょうがない僕だが、TLで出会ったらいいこいいこするように。




ちなみに私の趣味で申請した金曜6限の現代乳首学入門、諸事情により開講取り消しとなりました。


ああそうだ、辛く厳しいだろ?


これが俗に言う現実らしいぞ・・・